Shinya talk

     

 

2020/05/07(Thu)

この迷走船はいったい何処に向かって針路を取ろうとしているのか。(CATWALKより転載)



「迷走」という言葉がある。



これは道のある陸上の言葉ではなく、例えば「第七管区海上保安本部若松海上保安部などが取り組んでいる迷走船対策」と言うように道というもののない海洋における船舶の航行、あるいは空の飛行機の飛行の様を表す言葉だ。



私も海洋の航行時にたまに迷走船に出くわすことがある。

その多くは海が荒れた時のことで、波間に見え隠れする遠くの船の針路が定まらず、フラフラして一体どこに行こうとしているのかわからない。



こっちかな、いやこっちかなと、慌ただしく針路を変える。



つまり慌てているのだ。











この日本丸と言う船の舵を握っている安倍首相はさしずめ荒れた海の中のあわてた船長のように見える。



そのおかげでいわば今日本は海上保安庁の言うところの「迷走船」そのものとなっている。



自分一人で遭難するなら構わないが、この船には一億二千万もの乗客がいるのだ。



投稿の中で安倍のマスク云々とこだわるのはどうかと思うと言うのがあったが、私は以下のようにそう言った細部にすでに彼が針路定まらぬふらつき船長であることが現れていると指摘している。










466億円もの大金を使い、全家庭に2枚の布マスクを配るという信じがたい駄策を発表するやいなや、各方面から布マスクは不織布マスクに比べ使い物にならないと指摘されると、慌てて彼は通常の不織布マスクに付け替えた。

だが今度は、では国民に配った布マスクを安倍首相はなぜ装着しないのかという批判が飛び出た。そうすると安倍首相はまた不織布マスクをやめ、再びあの布マスクを再装着しはじめた。

私がすでに終息しているマスク問題にこだわるのはこれは単にマスクにとどまる問題ではなく、そう言った細部にこの緊急時に政権の「ふらつき」というものが如実に見て取れるということに他ならない。











その後、このマスクのふらつきの一件は案の定、その直後に特定世帯30万給付と一旦正式発表したものを引っ込め、国民一人当たり10万に切り替えると言う針路定まらぬふらつきに如実に現れる。



この舵取りのふらつきはさらに続き、4月7日に7都府県緊急事態宣言を発令したものの、都府県から他県への人々の移動を見て慌てて16日に緊急事態宣言を全都道府県に拡大。



その4月16日の緊急事態宣言は連休明けの5月6日までとしていたが、全面的ロックダウンのできないこの日本において連休明けに解除に至る状況になるとは国民の誰もが思っていなかったはずだ。



そして今日さらに1ヶ月延長。

この荒海の中、三度にもわたる針路の変更は国民の神経と忍耐に疲弊をもたらす。



一体この船はどこに行こうとしているのか、ふらふらと針路を変える日本丸に乗っている乗客はたまったものではない。











かと言って荒海の海洋の中の迷走船の針路を誘導する海上保安庁船のような役割をする、つまりこれは他国と言うことになるのだが、助け船を出す国はないのかと言うと決してない訳ではない。



先日私の本の韓国版の仲介をしているカンさんに電話をしたことろ、韓国ではPCR検査のキッドの提供など日本に何度も協力の打診をしているそうだ(こうした報道はなぜかない)。

しかも韓国におけるPCR検査の精度は日本の40パーセントに比べ80パーセントと高いらしい。

日韓関係の悪い中、韓国に助け船を求めるのは政権のプライドに傷をつけることになるわけだが、そんなプライドはかなぐり捨て、救済一途に邁進する。

つまり命を賭けるような迫力がない。



その点、今回の新型コロナウイルス戦争において、ニュージーランドのジャシーダ・アーダーン首相、台湾総統のサイ・エイブン、ドイツのメルケル首相と揺らぎのない船の操縦を見せた国主が女性であったことは特筆すべきことだろう。



一般的にというか、いやほとんど全てと言ってよいが、船の船長というものはおしなべて男性だ。

そう言う意味ではトランプやプーチンや安倍と言った男性の舵取りがふらつき、女性がヨーイング(左右のふらつき)をしっかりと制御する舵取りを見せていることには驚きを禁じ得ないが、それはひょっとすると驚くべきことではないのではないかも知れない。

それは女性国主のそれぞれが愛の言葉をもって国民に接したということだ。

台湾における部下の大臣は武漢から帰国した国民の一人が感染者だったことにさえ涙した。

それによって国民はその「人間の言葉」に自ら進んで従い、合わせてその心に潤いすら与えられたと思える。



官僚の作文をクールに棒読みするような国主の国においてはいかに医学的能力が高かろうがおそらくこの闘いには勝てない。

というのもこれは生物対生物の闘いであり、武器と最も遠い人間の心というものが皮肉にも最も性能の良い武器だということである。