Shinya talk

     

 

2010/07/29(Thu)

ワカメ殺人事件

いずれこのトーク欄で紹介することになると思うが、私の本はお隣の韓国でも翻訳されており面白いことに「インド放浪」などではネットで読者がこれを素材としたショートアニメを作ったりしている。ごく最近は「メメント・モリ」も翻訳された。これがなかなか優れた印刷で、日本の印刷所もおちおちとしておれない。

先日その翻訳本の仲介をしてくれているカンさんが日本にやってきて夕飯を一緒にしたのだが、その席で驚かされることがあった。
韓国には例の世界を席巻している書籍ネット販売業「アマゾン」がないというのである。それからヤフーのネットオークションもないらしい。
というのは韓国は早くからネット文化が興隆していて、すでにアマゾンやヤフーに代るサイトがあり、アマゾンやヤフーが入り込めないということらしい。一時は買収を試みたらしいがそれも失敗したとのこと。

この話は痛快だった。
ウインドウズ、アップル、グーグル、アマゾン、ヤフー、とネット文化はイクオールアメリカ文化であり、まるでコカコーラやマックが世界を席巻するようにネット文化もまたアメリカが席巻している。そういった中自前のサイトが防波堤となっているというのは痛快だ。

面白いが笑えない話がある。
アイパッド上陸騒ぎの中、たかがハードを持っているだけのアップルがソフトの検閲も行うようになった。そこで「サザエさん」が検閲にひっかかった。
ワカメが風呂上りに居間を裸で走り抜けるシーンが”幼児ポルノ”にあたるというのである。これはお笑いではない。深刻な問題である。

たかがハードの販売会社がこういった日本文化にまで口を出すというのは怖い。ソニーやシャープがマドンナのセクシーポーズはポルノにあたるからハードから追放すると言っていることと同じことだ。

アップルの機器というのは製品発表にジーパンを穿いた重役が出てきたりくだけたクールなイメージがあるが、ひょっとしたらアメリカ的クリーン志向を内包しているのかも知れない。
今までいかしていると思っていたあのシンプルでクリーンなデザインすら、そのいかにもアメリカ的な偏狭なクリーン思考と重なり合ってしまうのである。

ちなみに”ワカメ殺人事件”のことを知って私はあのアイパッドは薄気味悪い凶器に思えはじめ、買っていない。

     

 

2010/07/27(Tue)

花一輪、人ひとり

「死ぬな生きろ」落丁本の回収を終えたので、お知らせのトークは削除する。

昨日は朝の9時から夜の9時までAKB48の大島優子君の撮影があった。

不況下沈滞している芸能やJポップス(昨今の歌手は自分の歌は作らずカバー曲と称して労せず人の歌ばかり歌っている体たらく。体のいいカラオケじゃないか)の中にあって昨今AKB48はブームの様相を呈しており、名のないメンバーを撮るにもひとつのスタジオに何十社ものカメラマンが結集し、10分刻みで次々と機械的な撮影を行うとか、たった15分の撮影のためにハワイ参ずるとか、信じられぬほどのスケジュール管理らしい。

私とAKB48の流れは一風変わっている。
昨年公開された映画「渋谷」に売りをする少女役で大島君が登場している。
次に今年の朝日新聞の新年インタビュー、ネット社会を語るの中でバーチャルの行き着くところの揺り戻しとしてのリアルという文脈の中でのAKB48の名を出している。そういう意味では時代のイコンとして私なりに注目はしていた。
その後、このインタビューを読んだ「週刊現代」の若い編集者が巻頭でAKB48を撮って書いてくれということがあり、秋葉原のドンキホーテ8Fにある劇場に馳せ参じ、撮って書いて、これが評判を呼んだ。

その際、AKB48を語る上におけるキーワードとして「リア充」という言葉を使ったのだが、その数週間後AKB48の「渡り廊下走り隊」の十代のメンバーがスポーツ新聞のインタビューでさかんに「リア充だよね!リア充だよね!」と連発しているのを読んで、この子たちの情報収集と消化能力に驚いたものである。
何かそう言った時代にコミットして行く感覚というものは勢いのある場所や人には必ずあるものである。

ところで今やAKB48の総選挙で1位となり、ここのところ恋愛スキャンダルで世を騒がせている(あれは白ムク少年、ウエンツの映画宣伝のためにウエンツ側から仕掛けられたガセ情報らしく、この芸能界はまったくもって魑魅魍魎である)大島君、一見ごく普通の女性だが、カメラの前に立つと完璧なまでの女優になり、驚かされるとともに彼女の人気の理由が氷解した。
特に目がいい。
目で演技が出来るということが俳優のひとつの重要な条件であるとすれば、彼女はその第一関門をクリアしているということだろう。
またもうひとつそれは彼女の履歴から来るものかも知れないが、彼女はその表情に喜と哀の二面性を持っている。そういった人間としての幅も女優として欠かせない。秋元康が彼女のために「泣きながら微笑んで」という優れた歌を作っているが、さすがに彼はそういう大島のキャラを見ているということだろう。

もうひとつ感心したのは撮影の休み時間にプレゼントとして「死ぬな生きろ」を渡したのだが、彼女はどうやら感覚でその本の内容を理解していることがわかった。
この本は人を選ぶ本である。
アマゾンのレビューで一読者が内容がまったく理解できないとこの本をこき下ろしているのを見たが、この本は踏み絵のようなもので、その人の鈍感力と想像能力の程度を測る怖いとろのある本だと思う。ネット時代は油断しているとその人の能力を公にさらすことになるわけだから怖いものだ。
この本の言葉は「メメント・モリ」などと異なって一切説明せず、言葉を極限まで単純化させているがゆえに、それを読む者の想像力が試されるある意味で仕掛けのある本なのだ。
たとえば一例として次のような言葉がある。

花一輪
人ひとり

旅の中でたった一輪の花の居残った椿の木に出会う。
私はその花に向かい合い、写真を撮る。
花一輪、人ひとり、とは私と目の前の一輪の花とが出会い、関係を切り結んだ瞬間を表す言葉なのだ。それは一輪の花に心奪われることによって私という存在が立ち現れ“生きる”瞬間でもある。だがその一瞬は刹那的だ。私がよそ見をしている間に椿の花はもげ落ちるかも知れない。あるいは椿の花が咲いている間に私の命がとつぜん閉じないという保証はない。そしてこのように関係が刹那的で無常であるからこそ、一瞬はより密度を増すのだ。

言葉をぼんやりと素通りしないでほしいと思う。
多言を弄する言葉より、そぎ落とした言葉にこそ血のにじむような研鑽が積まれているのである。

そしてそんな単純な言葉の中にもタイトルの意味は含まれるのである。

                          ●

大島君の撮影は彼女の生まれ育った栃木にはじまり、終わりは夜の小雨の渋谷センター街からスクランブル交差点を一気に歩きぬけ(群集が集まる可能性があり、ガードを固めながら、100カットを3分で撮るという早業)無事撮影は完了した。

こういった修羅場の雑踏の撮影においてもある一瞬から雑音は消え、私は四国のあの、花一輪、人ひとり、の森閑とした世界を体験していた。


     

 

2010/07/04(Sun)

『死ぬな生きろ』という不思議な本

 
 新刊『死ぬな生きろ』は408ページからなる分厚い本である。
二冊分だから単価が高くなっているのが残念なところだが、本の完成度には自信を持っている。この本は”写真と書”というおそらくこれまで誰も試みたこともないと思われる変わった本だ。したがって書に興味のない人にとっては遠い本になるかも知れない。

 2年前にバイクで四国を巡った折に撮った88の写真に88の言葉をつけ、それを書で書いたわけだ。昨今書というメディアが注目されているが、昔から折につけやって来た自分にとっては、このタイミングを図ってというわけではない。
 たまたまそういった時代の風景とリンクしただけのことだ。

 88とはつまり札所の数である。当然撮った写真は膨大だ。
 これまで私は四国はたびたび訪れているが、過去の写真は一切使っていない。写真は魚と同じような生ものだから、そのとき撮ったものを使うべきだとの思いがある。使ったカメラはデジタルである。
 この本のインタビュー時に来たカメラマンがこの本を目にして「えっ、これがデジタルですか」と驚いたが、おそらくこの本の写真を見た人はデジタルとは思えないだろう。そこには私なりのデジタルをいかにアナログ化するかというそれなりの研鑽というものがある。
私はデジタルというものを昔から拒絶していない。
このような時代、新しいメディアを嫌う人がいる。
だが、私には表現者というものは毒を食わば皿まで、あらゆるものを受容すべきだという考えがある。

以下、この本の成り立ちについての雑誌のインタビューの抜粋。

                         ●

 二年前の春、藤原は独り四国八十八ヵ所を巡った。本書には、その時に撮った八十八枚の写真と、八十八の言葉で構成されている。
『死ぬな生きろ』において藤原は、これまでの著作と一線を画す新機軸を打ち出した。写真に添える言葉を極限まで削ぎ落とし、その言葉を「書」で表現したこと。
 言葉はなぜ短くなければならなかったのか。そして、なぜ墨と筆が必要とされたのか。
 新たなスタイルに挑んだ理由を聞いた。



四国の森で

 四国遍路は、この三十年間、親の死をきっかけに何度か巡ってきた。その都度、その旅の軌跡を本に書いてきたけれど、二年前の春に巡ったときに、『死ぬな生きろ』の構想が一気に具体化するような瞬間に遭遇することができた。
 ある寺の裏手の森の中を、境内を目指して登っているときで、ちょうど夕方の真っ赤な太陽が沈みつつあった。その時、森の木々を通して差し込んできた夕日の光が、目の前の杉の木肌に、ほんのぼんやりと、頬紅がぱっとさすように光ったのが見えた。その瞬間、「朧(おぼろ)」という言葉がふっと心に浮かんだ。そして、そのシーンには、これ以上の言葉は必要ないと感じた。
「朧」というのは、自分から発生した言葉ではない。自分が選んだ言葉だ。「朧」というのは一つの単語だけれど、単語を選んだことが表現になったわけだ。単語というものが、自分の表現にすっとリンクしたとも言える。長い間、何十年も旅をしてきて、写真を撮って文章や言葉をつける仕事をしてきたけれど、一つの単語がふっと浮かんだのは、その時が初めて。初めて単語を表現した瞬間だった。

 写真に言葉を添えるというスタイルの表現は、これまで何度も試みてきた。例えば、『メメント・モリ』(一九八三)に収録した言葉。詩でもないし、格言でもない、どんなカテゴリーにもあてはまらない言葉だった。形式なんかは一切無視して、長い文章のような言葉をつけることもあれば、ただ「おーい」という短い言葉だけのこともあった。
 そういう方法をとったのは、カテゴライズされた言葉というのを、つまらないと思っているから。例えば、僕は俳句や和歌にはほとんど興味がない。俳句には五七五でなければならないとか、季語を入れなければならないとかの不文律があって、そういう型に縛られるのはつまらないと思っている。僕は常にどこにも属さないで生きてきたから、言葉においてもどこにも属したくない。

 ただ、カテゴリーから逃れることができても、言葉というのはどうしても意味を持ってしまう。言葉は誰かとコミュニケーションをするためのツールであって、そこには必ず意味がある。写真は時として意味からぽんと解放されることがあるだけに、言葉が意味にとらわれてしまうことに、常にうっとうしい気分があった。

『メメント・モリ』では、形式を無視することはできたけれど、僕個人のメッセージ性、言葉の意味性というのは、むしろディープにあった。だから、そういう言葉の意味の世界からどうにか脱することができないだろうか、言葉と意味とを極力切り離すことができないだろうか、そういう忸怩たる思いが、自分の中に感覚としてずっと抱かれていた。

 意味やメッセージをぎりぎりまでそぎ落とすことができたとき、言葉は、それを読む人の言葉になりうるのだと思う。それは誰もが共有することのできる言葉で、風通しのいい言葉だ。究極の言葉というのは、そういうものではないかと思う。それを、いつか写真と言葉で表現することができたらと、十年ぐらい前からずっと思ってきた。

 だから、今回、四国の森の中で「朧」という単語が浮かんだのは、ここ十年ぐらいの思いが、どこかでずっと醗酵していて、その時にふっとリンクしたのかもしれない。はっきりとはわからないけれど、人の思いというのは、いつかどこかでリンクすることがある。おそらく、そういう瞬間だったのだと思う。
 その瞬間、すぐに「あっ、これだ」と思った。今回はこういう旅をしようと、その時に決めた。丁度、旅をはじめて四日目。幸運なことに、旅の最初に方向性が決まった。

 ただ、そういう意味性のない言葉を探しながら旅をしようと意識すると、言葉は出てこない。これが難しい。だから、そういう意識はすぐに捨てて、また無心で旅を続けた。
 そうすると、時々それに近い言葉がぽっと浮かんでくるようになった。ちょうどロウソクの火を灯すように。

 あとがきにも書いたけれど、旅の途中、四十五番札所の岩屋寺で、母親と息子の巡礼に出会った。少し話をして別れた後、本堂に行ってみると、二本のロウソクが灯っていた。写真に撮った。その時に浮かんだのは「二人灯して帰る」という言葉だった。

 僕はその時、母子のドラマがそこに全てある、二人がロウソクを灯して何か祈って帰っていった残り香がそこにあると感じていた。けれど、あの二本のロウソクの光というのは、いかようにも解釈することができる。その二人が愛人であってもいいし、兄弟であってもいい。恋人同士であってもいい。そこに二人の人間がいて、祈りの火を灯して帰った。そこにあらゆる人生が含まれている。
「二人灯して帰る」という言葉は、「朧」より説明的な言葉で、ある具体的な情景が浮かぶような言葉であるけれど、あらゆる人の意識を取り込める言葉、フレーズであると思う。
 どうしても作家というのは、「こう読んでくれ」という思いがあるけれど、そういう意識から言葉を解放したい。言葉を自分から解放して、自分の自我から解放していくことによって、誰にでも、どのようにでも読めるものにする。それが言葉の究極の姿かなと思う。

 そうして、その言葉が、それを読む人の気持ちをぱっと開かせる。それが言葉の力。
 そういう言葉には、強いメッセージ性を込めた『メメント・モリ』の言葉以上に、人の気持ちを動かす力があるかもしれない。『メメント・モリ』で書いた「人間は犬に食われるほど自由だ」というフレーズも、人の気持ちを開かせる言葉だけれど、そこには僕個人の意味性が強く反映されている。
『死ぬな生きろ』では、あるシチュエーションを写真で語り、それに一つ一つ単語や言葉を選んでいくことによって、一種のシーンを表現していった。そこから読む人は何かを感じ取り、感じたことで読む人の気持ちがぱっと開ていく。そういう本にしたいという思いがあった。

 ただ、言葉を僕個人から切り離すことによって、僕が全くいなくなってしまったら、そこに作家性というものがなくなってしまう。これは非常に難しいところで、どこかに少しでも僕が存在しておかなければならない。そこではじめて、「書」という非常に特異な世界が浮上してきた。

 例えば、ある写真に「花」という言葉をつけた。その時に、僕がそこに存在しているというのは、僕が「花」という単語をどういう声で発したかということ。俳優の世界ならば、ため息を吐きながら「花」と言った場合、ぱっと艶やかなものを見つけて「あっ、花」と言った場合、いろいろな言葉の発し方がある。

 声は活字では表せない。活字にしてしまうと、それは死んだものになってしまう。
 声というのは肉体の運動であるわけで、それが言葉と融合した時に、どのように表現することができるだろうかという気持ちで、旅をしている間、何か言葉が浮かべば、何度もペンでその文字を書いてみた。「花」という言葉が浮かべば、手元でいろいろな「花」を書いてみるというように。

 そのうちに、今までに見てきたいろいろな人の書、一休の書や、良寛の書がふっと頭をよぎった。その時ふと、「声だな」と思った。書というのは声なんだ、と。
 言葉を活字ではなく書で残すことで、そこに最低限の自分の存在を残すことができると気がついた。自分がそこにすっと立っている佇まいみたいなものが刻まれる。

 いざ書を書こうとする段になって、例えば「恋」という言葉を、今、六十歳を過ぎた僕が書いたら、どういうかたちになるのか。これはとても難しかった。
「恋」という字は、結局、二百枚書いた。いくら書いても今の自分の「恋」の解釈にならないから。
 書というのは不思議なもので、歌とよく似ている。歌は、歌おう歌おうとすると、歌にならない。聞き手の立場からすると、そういう歌は、どこか耳障りだ。反対に、自然に歌っている歌というのは、すっと入ってくる。

 書も同じで、書こうとしたら駄目。書こう書こうとした書は、どこかに人の我のようなものが感じられて、ちょっと受け付けない。
「恋」という言葉は、人間の煩悩とも言えるし、欲望とも言える。優しさでもあり、欲望とは逆の無償の関係にもなりうる。そういういろいろな世界が含まれた言葉を、今の自分の心境を写すような書として書かなければならないとなると、そこには当然自我が出てくる。
 書こう書こうとしてしまう。いくら書いても書こうとしてしまって、いつまで経っても定着しない。だから何度も書く。すると途中から、字を間違ってしまったりする。
 一画抜けていたり、点が一つ足りなかったり。「恋」という文字のかたちそのものが失われていくという状態に至る。気がつくと、違う文字を書いている。
 そうやって文字すら忘れてしまうという地点にまで到達すると、ふっと抜けていくものがある。言葉のかたちも意味も失われていく状態。そこを通り過ぎたとき、最後にあの書がぱっと書けた。

『死ぬな生きろ』で編んだ八十八の言葉は、全てなんでもない言葉。否定でもなく肯定でもなく、ただそこにあるだけの言葉。中庸というか、そこにとどまりながら、人の気持ちをすっと受け入れて、人の心を解放することができる言葉。これは人間の言葉としてはいい言葉だと思う。読む人にどう解釈してもらってもいい。



『死ぬな生きろ』
藤原新也
四六判並製カバー装/408ページ
2800円
スイッチ・パブリッシング刊

お問い合わせ:スイッチ・パブリッシング販売部
TEL.03-5485-2100 FAX.03-5485-2101
www.switch-pub.co.jp www.coyoteclub.net

     

 

2010/06/30(Wed)

「死ぬな生きろ」本日発売!

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2010/06/28(Mon)

金と暇があれば賭け事に走るというのは故事にも言われること。

私が子供のころ旅館をやっていた我が家には巡業の力士が大勢泊まった。
顔なじみになる力士や行事もいた。
当時の相撲取りは幕の内力士以下はまるで乞食のように冬でも浴衣一枚で寒空の下、震えながら外でチャンコ鍋などを作っていた。幕の内力士とて裕福ではなく、巡業の土俵のある場所まで同じく粗末な浴衣を着てぞろぞろ歩いて行っていたものだ。
だから子供のころの私には相撲取りというのは貧乏というイメージがある。
私の旅館は巡業が泊まるようなものではなかったが、大の相撲好きの父親が実費に近い宿泊代で、巡業の時だけは全館を貸していた。

そういった過去の思い出からすると、高度成長以降の相撲というものはおそろしくリッチになった。力士が黒塗りの車でまるでどこかの社長のように国技館などに乗り付ける風景を見るにつけ昔のことを考えると想像だにできないことだ。

相撲業界がいつのころからそのようにリッチになったのかは私にはわからないが、次のような逸話がある。私の兄の友人である将棋の大内8段が先代の貴乃花を囲む宴会に招かれたときのことである。
会が終わると幹事が各客人をまわり、50万円づつ集めて回った。
そういうことを聞いていない大内さんは驚いていると「ま、この場は何も言わず協力を」と則され仕方なくあとで振り込む旨を伝えたそうだ。
彼はそのあまりに世間の常識から離れた金銭感覚に怒りを覚え、以降、そういう会合は敬遠するようになった。

かくも左様に相撲界はゴッツァン体質が染み付いた、浮世離れした世界のようである。
理事長の会見を見てもこれほどの不祥事をおかしていながら、引責を問われると記者に食ってかかるほどの剣幕で、どうも感覚がおかしい。
国技の名のもと自分たちが特別な組織だという錯覚が身についているのかも知れない。

今回の野球賭博が力士に蔓延している理由は実に簡単である。
要するに相撲界には”金”と”暇”があり余っているということだ。
本場所6場所で3ヶ月。巡業を計算しても相撲取りは一年の半分は暇をもてあましているわけだ。衣食住完備で、その上給料をもらえるわけだから給料の使い道に困っているということも考えられる。元横綱の朝昇龍が夜な夜な六本木に繰り出していたのもうなづける。
暇と金があって、その上ランニングハイではないが勝負事のアドレナリンが普通の人の何倍も多い力士が賭け事に走るのはある意味で特別なことではないのではなかろうか。

この相撲界の浮世離れの一番の原因は国技の名のもといかなる収入にも税金がかからないことにある。かりに土地を手に入れても取得税がかからないわけだから土地ころがしをやろうと思えばいくらでも儲かるわけだ。

この不況時、世間の人々は寒風の中で耐え、高い税金をせっせと納めている。
今、相撲界の賭博をはじめとする腐敗をどうすれば根絶できるかの議論が盛んだが、罰則処分や本場所を休むなどのことでは根治はできないだろう。

根治するには、要するに金余りと暇を断つことが一番。
まず大相撲も利益団体なのだから、税金を課すこと。
それが一番の良薬である。
暇に関しては彼らは力持ちだから災害現場などのボランティア活動などをすればよい。

一番の基本は世間の人々がそうしているように税金という身を切って血を出すことを知らないから、あらゆる面で浮世離れし、そういった非課税の余剰金が賭け事にまわり、そういった金が暴力団にまわり、時にはそういった金が覚せい剤他の犯罪の蔓延につながる。

まず、大相撲を健全なものにしょうと思えば、政府は大相撲に課税し彼らを”あの世の人”から”この世の人”に戻してあげるべきだ。

     

 

2010/06/25(Fri)

祝、日本チーム第一次リーグ突破!於、渋谷スクランブル交差点、4:15AM

日本はおろか全世界にまたをかけた書と言葉の”居あい抜き”8月から「週刊プレイボーイ」で連載予定。
あくまで予定!
どういう言葉が飛び出すかやや危険すぎるきらいがあり、まだ本決まりになっていないのである。


     

 

2010/06/19(Sat)

張本勲に大カツ!!!


以前、TBSのサンデーモーニングという番組にレギュラーで出てくれという話があった(断ったが)ので、どういう番組かと見て以来、たまに見るのだが、番組のレギュラー出演者の江川紹子が下ろされたという話が伝わってきた。

私はたまたまその番組を見ている。
楽天の岩隈投手に張本勲が途中降板は根性が足りないとカツを入れ、江川がそれに反論した場面である。
わずか十数秒の意見の違いで、べつに険悪な雰囲気でもなく、むしろ微笑ましくも感じる場面だったが、番組終了後、張本はTBSに対し江川の番組降板を強力に申し入れたそうである。

                        ●

以下、江川のコメント参照


ちなみに、サンデーモーニングはTBS報道局の番組です。話し合いの中で、私は「TBS報道局にとって、何が大事な価値観か、よく考えて欲しい」と述べてきました。その結果が、これです。非常に落胆しています。
張本氏の要求は、「江川と同席したくない」ではなく、「江川を番組に出すな」というもの。20日に私を出演させれば、それ以外の日も、張本氏は出ないと主張されたそうです。
TBS側は当初、私に無期限の「休養」を提案してきました。無期限というのは、張本氏の怒りが収まるまで、ということ。「おそらく秋頃にはまた出ていただけるでしょう」と。私が「休養はしません」と述べ、その後やりとりの中で、休養期間は2ヶ月間に短縮されましたが、他はまったく変化なしでした。
念のため申し添えると、私は張本氏と喧嘩をしているわけではないです。TBSには、私の言い方がよくないということであれば、張本氏に謝りに行きますよ、とも言いました。
実は、張本氏が「江川を出すな」と要求されたのは、これが2度目で、最初の時は関口さんが助け船を出して下さいました。今回は、関口さんが何を言っても譲れないと、張本氏が主張されたそうです。
前回のことがあったので、私はなるべくあのコーナーにはリアクションしないように努めていたのですが、あの時は岩隈さんについて、あまりの言いようだったので、ついファンとしてリアクションしてしまいました。
私がいきさつを(ツイッターで)明らかにしたのは、1つは私のコメントを待っていてくださる方に(番組に)出られなくなったことをご報告しなければ、と思ったから。もう1つは、これで私が黙っていれば、次にまた同じようなことが起きかねない、と思ったからです。

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今、官房機密費の評論家やマスコミ幹部への流出を追及している上杉隆がほぼテレビを中心とするマスコミで干されている(ワールドサッカーに浮かれてこの件を忘れてはならない)が、たかがあんな意見の違いで強行に一人のジャーナリストの首を切るというこの所業は何だ。

もともと江川がきわどい発言をしていてこれを機にという思惑が働いてのことか、あるいは張本の権力(プロ野球界における)に恐れをなしたのかはわからないが、私はその張本勲に別の件でひとつ言っておきたいことがある。

彼はときどき亡霊になるのである。
つまりあのバーチャル出演というやつだ。
どこやらで仕事があるからと言う理由で北海道くんだりとかそんなあたりから映像を飛ばして大沢親分という者の横に薄らぼんやりと亡霊のごとく立ち現れるのだ。
一方が実物で一方がはめ込みの虚像なのでおそろしく気味の悪い画面となっている。
ひごろ人の道や徳を得々と説く張本は自分が仕事の二股をかけた亡霊出演というような不徳で虚偽に満ちたがん首をテレビに曝していることを恥と感じないのか。

というわけで、ここで張本勲に大カツ!!!









     

 

2010/06/15(Tue)

W杯に想うこと。

なにやら日本中が沸き立つ初勝利の中で、カメルーンの敗戦にがっかりしていた俺はいったい何だ(笑)

オランダにはぜひ勝ってほしいと思っているが、カメルーンを応援していたのはNHKで放映されたあのエトーの言葉に心を動かされたということがある。

彼はインタビュアーから「ゴールとは何ですか?」と問われて、しばらくの沈黙の後小さな声で「愛だ」答える。

それはありがちな浮ついた言葉ではなく、その背景には貧困にあえぐカメルーンの国民の中で彼は希望の星であり、彼はそれにいささかの苦痛を感じながらも一身に受けて立とうと常に努力して来たということがある。
自分がひとつゴールするごとに物はなくともチャリンと人々の心に投げ銭をしているようなものだろう。
サッカー施設のない本国に1億近い金を投入し、無料で選手の卵を養成しているというのも貧困の中で育った彼が同じ境遇の子たちを愛しているということの現れと言える。

まさに彼にとってゴールとは愛なのだ。

こういった言葉を吐ける日本人選手がいったいいるだろうか。
多分ぜったいいないな。

私は世界の各選手に「ゴールとは何か?」という単純な問いを発してみたい気持ちに駆られる。
それは君にとって「人生とは何か?」という単純にして手ごわい問いにも似ている。

W杯とかこういったイベントには自国のチームを応援するというのは当たり前のことだが、逆に日本人だから日本を応援するという視野狭窄的意識を脱したとき、そこに何が見えて来るかということも大事なことだと思うね。


     

 

2010/06/10(Thu)

「ザ・コーヴ」に関する覚え書き

映画「ザ・コーヴ」が右派団体の抗議などによって次々と上映中止になっている件に関し、雑誌「創」の篠田さんからCCメールが届き、中止阻止の賛同署名を求められる。

ゆゆしいことだ。
いかなる場合も表現と言論の自由は守られねばならない。
私は以前雑誌「フライデー」のやり方に世間の非難が起こったとき、どのような状況であれメディアを潰すということはあってはならないとのコメントを吐いたことがある。

ただ、今回の「ザ・コーヴ」問題に関しては、言論の自由という大儀のもと、すぐさま賛同するという気になれない。

それは「ザ・コーヴ」の監督らが自分たちの論理だけで日本の食文化を俎上に載せ、善悪を裁いているというクジラ問題にも共通な世界観の押し付けがあるというような、陳腐な理由からではない。
かりにこちらから見ると間違った世界観によって出来た作品であっても、その表現の自由を奪ってはならないことは自明のことだ。

ただ私はひとりの写真家として表現の自由とは別の意味でこの作品に少なからぬ問題を感じている。

それは映画の中でイルカ捕獲者の顔を出していることだ。

承知のように昨今肖像権の問題は私たち写真家を悩ましており、すでに自由な街頭スナップすら困難な状況になっている。
この風潮はアメリカから来たものであり、現地においてはこの肖像権の問題は訴訟に至るほどさらに手厳しい。

そういった人権環境、映像環境下にある撮影者が、モザイクもかけることなく、なぜ一般市民の顔を躊躇なく開示したのか。
それはイルカを殺害している”悪い人間”だからという彼らの意識のものに行われた行為であったとするなら整合性がないのである。

彼らがそういった勇み足をおかした背景にはどうも人種差別意識があるのではないか。私はそのように懸念するのである。
写真家として世界の人間を撮った観点から言うなら、おそらくそこには彼らが気づいていない暗黙の人種差別意識が深層にあるのではないかと懸念するのだ。

その差別意識は若いころの私にもあったからだ。
アフリカ人やインド人は何か動物でも撮るように気軽に撮れるのに白人は気軽に撮れない。
そういった視線によるヒエラルキーというものは必ず人種間に存在しており、おそらく、私より白人の方が強くそのことを深層意識に持っているのではないかと思うのである。それは堅固なヒエラルキー構造を持つキリスト教的な深層意識の延長線上にあるのかも知れない。

そういったヒエラルキー意識がまた、動物の存在にも格付けを投影し、サメは殺しても良いがイルカはいけないという西欧的な世界観となって現れる。

それはまたドイツやイタリアに原爆を落とさなかったが日本には落としたということとも無縁ではないように思うのである。

つまり対象者の顔を出すことと、イルカ捕獲を反対することとは同じ世界観、差別意識から出ているもののように思えてならないのだ。

そういった人権侵害(日本では配給会社が自主的に対象者の顔にモザイクをかけているが日本以外の西欧世界のあらゆる場所で対象者の顔は開示されている)、あるいは人種差別というものが色濃く出ている可能性のある作品がかりに法に触れないにしても(触れるのかも知れない)表現の自由という名のもとに擁護されるべきなのかどうなのか、軽々とは賛同しかねるのである。

     

 

2010/06/04(Fri)

官房機密費の恐るべきマスコミ汚染

官房機密費がマスコミ関係や政治記者、テレビに出ている評論家、コメンテーターなどほとんどの人に渡っているという事案は一部週刊誌に載せられつつあるが、そのことを取材している上杉隆と賄賂を渡された経験のある田原総一朗(彼だけは金を返している)の対談がユーストリームで展開された。

この問題は表の名だたる大メディアや評論家のほとんどすべてが金によって政府にコントロールされていたというメディアの根幹を揺るがす大変な問題だが、当然メディアによっては報道されないから一部週刊誌か、こういったユーストリーム上でしか公表できないわけだ。

この映像の視聴者が2千数百人と問題の大きさに比し(今現在、ツイッターなどで話題になり、相当の広がりを見せているようだ)実に少ない。本当は日本国民の多くの人が見るべきものだ。

なお、録音の不備で最初の数分間は音声が出ない。


     

 

2010/06/03(Thu)

無謬

そして誰もいなくなった。

右を見ても左を見ても賢者なき茫漠とした焼け野原が居残るばかり。

それでも焼け野原を歩く、自からの二本の足は生き残っていることを強く感じ取ろう。




     

 

2010/05/31(Mon)

独立国家先送りで首相辞任すべき

 普天間問題は水面下で莫大な金の流れが絡んでいるということは自明だが、この件については極右メディアのサンケイが小さな記事で扱っただけで、格大メディアは音なしの構え。
旧政権との関係が色濃く残っている防衛省、外務省が激しい抵抗をして今回の日米合意に至ったわけだが、その抵抗の背景に利権や金の問題は絡んでいるのかいないのか、それは想像力の領域にとどまらざるを得ないが、そんなことを考えながらふと思い出すのは三年前の防衛庁前次官、26万人防衛庁の天皇とうたわれた守屋武昌の収賄事件である。
浮かび上がったのは常態化した接待などの小さなものだったが、当時額はそんなものではなく、水面下で相当の金が動いていると言われたものである。

要するに防衛省であろうと、他の省庁と同じように腐敗の温床と化していたわけであり、今回の普天間問題で防衛省や外務省が激しい抵抗を示し、そして平野官房長官がその流れに乗った背景には、そういった生臭い問題はないのかということはメディアは検証すべきだろう(たぶん省庁と同じように腐りつつあるメディアにそれに期待するのは無理だろうが)。

いずれにしても今回の件ではふたつのことが言える。

脱官僚という触れ込みで政権の座についた民主党は国防というもっとも重要な局面で官僚主導の泥沼に溺れてしまったこと(それを思うと事業仕分けとは向こう受けのパフォーマンスに過ぎなかったとさえ言える)。

戦後六十五年目にして、独立国家となるべく、その端緒となる絶好の機会を逸してしまったことである。

鳩山首相はそういた観点から力及ばず大失政をしたのであり、今日にでも辞任すべきだろう。
自民党の各前首相が短命だったので自分はそうなりたくないというようなくだらないことを出処進退の基準にすべきではない。



     

 

2010/05/29(Sat)

平野博文という不可解な存在

平野官房長官の顔を最初に見たのは鳩山が首相就任挨拶をしているときのことである。
鳩山の後ろで話の内容にあわせて見慣れない顔の男が逐一小さく相槌を打っている。
私は写真家だから人の人相を読むくせがあるのだが、その折、私は鳩山よりその人物の顔と表情が気になって仕方がなかった。そしてその妙に目つきの陰鬱な人相からてっきり首相つきの護衛だろうと思っていた。
首相の後ろにいるのにその大きい顔が妙に目立ち、護衛であるにもかかわらず、なぜ首相の演説にいちいちうなずいているかと違和感を覚えたものである。

ところがそののち、彼が官房長官となって表舞台に登場することになる。
へえ、あの男は民主党の上層にいたのかと、小さな驚きを持ったのだが、報道によればかねてよりの鳩山の相談役のようなことをやっていたらしい。

平野が官房長官に就任したころの民主党は清新のイメージがあったから、私が彼を最初に見たときの陰鬱な印象も多少は薄れていたのだが、それでも私は彼の人相のみならず、声にずっと違和感を覚えていた。

口を開けないで話すのである。
薄く開けた血の気の引いた紫色の唇からぼそぼそと飲み込むように言葉を発する。
どうもこの男には裏があるなと、その声を聴きながら感じていた。

そうするとそのうちに馬脚を現す1件が持ち上がってきた。
官房機密費である。

民主党政権になって、この機密費の内容が明らかになるものと期待されていたが、彼の口をついて出たのは自民党の旧閣僚以上にひどいものだった。

「へぇ、そんなものがあったんですかね」

例の病み上がりのような陰鬱な声で発せられたのが、この素っ頓狂な言葉。
答弁にしてもあまりに見え透いた人を食ったような言い草である。というよりあまりに直裁なウソのため、この男のプロテクターとしての資質が疑われたほどだ。

以降この男は機密費を使途不明のまま3億6000万引き出している。
そして今回の普天間問題である。アメリカとの合意の上、テニアン州知事が普天間の海兵隊をテニアン誘致のため来日し、鳩山との会見を申し込んだのだが、なぜか平野官房長官はそれをブロックしている。

国外に来てください、という要請に来たアメリカの州知事を救いの神ではなく厄介払いした彼の行動は一体何だ。
この彼の行動にはなにか深い闇が潜んでいるような気がする。
私はその辺の裏事情には明るくないので彼が莫大な基地利権に絡んいるのかどうなのか、その辺のところはわからない。

だが思いはどうも最初に無名の彼の顔を見たときの観相に帰結してしまうのである。

     

 

2010/05/28(Fri)

トークの削除に関して

今日の午前にアップした社民党に関するトークを削除する。

圧力があったわけではない。
早書きしたために、今一度情報を集めるとともに別のルートで検証してみると真相は普天間の海兵隊は日本の安全保障に関与しているわけではなく、緊急事態に際し自国(アメリカ)の兵士の救出のために配置されているということがわかった。

したがって普天間基地が排除されたとしても日本の安全保障とはまったく関係がないということだ。

ではなぜ海兵隊の沖縄駐留にこだわる動きがあるかというと、何百億という莫大な借地料のが地主に流れ、その利権の半分以上を本土の人間が早くから買い取って握っており、その似非地主が旧政権の自民党と深く繋がっているという、普天間問題は安全保障問題ではなく、生臭い金の話であるということだ。

アメリカとの合意の話も利権勢力が関与したどうやらガセの臭いが強く、そう言えばアメリカ閣僚級の誰の口からも合意の話などはでていない。

というよりむしとアメリカはグワムのテニアン島に海兵隊を移すことに前向きとのこと。問題はその移転の費用を日本にいかに出させるかという、これもまた生臭い金の問題だ。

したがって、先のトークの社民党批判はこういった利権構造に関わっている人間の利する内容となる。
政府やマスコミは日米の安全保障問題にかこつけてハイエナのごとく多い者で20億近い不労所得を得ている者たちの上位リストを公表すべきである。

それがトーク削除の理由である。

                          ●

以下にサンケイ新聞の関連記事を転載する。
小さな記事だがきわめて重要である。


米軍・普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、鳩山由紀夫首相は現行案の名護市辺野古周辺を移設先として仲井真弘多知事に提示した。議論が振り出しに戻るなか、県外の投資家たちは同県内の基地に熱い視線を向けている。価格上昇を続ける「軍用地」が投資先として人気を集めているからだ。国からの“迷惑料”だったはずの「軍用地料」が安定的な収入になるというのだが…。

 「沖縄の基地が生んだ優良投資物件」「確実な収入が見込めます」−。

 沖縄県内の不動産会社のホームページには、軍用地への投資を呼びかける広告が多数掲載されている。県内各所にも「軍用地求む」などと書かれたビラが散見される。県内の不動産関係者は次のように説明する。

 「軍用地とは、自衛隊と米軍が基地として使用している土地のこと。県内では、こうした軍用地は資産とみなされており、売買が頻繁に行われているのです」

 米軍基地は、すべて国有地と思われがちだが、実はその3分の1が個人の私有地。国が毎年、使用料として軍用地料を地権者に支払っている。

 沖縄防衛局によると、年間の軍用地料は総額約886億円(今年3月末現在)。軍用地主の数は県全体で約3万8200人といい、1人あたりの平均支給額は県民の平均所得額約204万5000円(2007年度)に迫る約200万円になる。嘉手納弾薬庫に土地を所有する県内最大の大地主は「年間約18億5000万円の軍用地料を得ている」(事情通)という。


     

 

2010/05/25(Tue)

新聞記事を鵜呑みにしてはいけないのはいずこの国においても同じこと

という風に韓国哨戒艦に関しての、証拠物件としての魚雷が本物かどうか。
ここにふたつの見解があるわけだが、私の得た情報によると今回の事件は軍事演習時に勃発した韓国艇と米原子力潜水艦の同士討ちの結果であって、魚雷はニセモノである公算が大きい。
 

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