Shinya talk

     

 

2016/06/16(Thu)

舛添ロスで振り上げた拳のやり場に困っている衆生の次なるターゲットになられぬようご用心。

経済学者の間では洋の東西を問わず不況と不倫が相関関係にあるとの定説がある。

つまり不況時においては就労者にそのしわ寄せが生じストレスが蓄積し、そのストレスが家庭内に持ち込まれ、夫婦の不仲が生じる。

不倫はその二重のストレスのガス抜きとして機能するがゆえに不況時には不倫がはやるという論法である。



ということは昨今の芸能界での不倫があとをたたないということは、社会的象徴であり、その水面下で一般の人々の間にも不倫行為が増大しているとも推測される。

確かに消費税引き上げ据置きがあらわすようにアベノミクスの失敗はすでに不況の域に達しており、特に中層以下の人々は清貧を強いられている現状がある。



だが不況であるにも関わらず企業の内部留保(つまり私服肥やし)は343兆円という天文学的数字に達している。

アベノミクスが失敗であったにもかかわらず政権の大企業優遇によって内閣発足した直後から今日まで企業の内部留保は約69兆円の急激増加を示しているわけだ。



国民の困窮と大企業の私服肥やしの関係を見ると富める者はますます富み、堕ちる者はますます堕ちるという、まるで社会はトランプの大貧民ゲームの渦中にあるようである。



そしてさらに追い打ちをかけるようにそれらの内部留保がタックスヘイブンシステムによって合法的に課税を回避し、そのしわ寄せをまた国民が負うというさらなる大貧民状況。



舛添問題はこういった社会状況の中で起こった。



当初、この問題が飛行機のファーストクラス、ホテルのスイートルームといった豪華な海外出張に端を発し、国民の怒りが爆発したことは、今の社会の大貧民構造の中における国民のメンタリティが如実にあらわれたと言える。



私個人は一国の首都の長が飛行機のファーストクラスに乗り、ホテルのスイートルームに泊まることに対しまるで犯罪者扱いでもするかのような大騒ぎするというのは違和感を感じていた。

というよりこの一件が好況時、あるいはバブル時であったなら、大した問題にもならなかっただろうと思うのである。



そういう意味では舛添はある意味で運が悪かったと言える。



有り体に言えば国民は不倫に走るかわりに舛添と寝たのだ(これは気持ちワルいな)。



そして悪いことに(あるいは好都合にも)叩けば叩くほどこの男からは埃(ほこり)が舞い上がり、日本人の国民性である100%辻褄が合わないと納得しない病と相まって舛添は”時代のサンドバッグ”としての役割を果たしたわけだ。



そしてそのサンドバッグがとつぜん目の前から消えて、いま国民および口角泡を飛ばしてきたタレントや評論家は舛添ロス症候群の中にある。













余談だが、つい先日人相に関しての新聞の取材ののちに以下のメールを送った。



「舛添問題関連だが、舛添都知事の人相の悪さは言うまでもないが、それを批判するタレントや評論家の人相も日増しに悪くなって来ていると感じる。

それは時間が経過し、舛添の表情や声が憔悴して行く中で人々の人相が批判モードからイジメモードに変わりつつあるからだね。


かりこの傾向がタレントや評論家にとどまらず日本人全体を被うモードになりつつあるとするなら舛添問題を契機に日本人全体の人相が悪くなりつつあるということであり、決して無視できない問題だ。


要するに人相は関わる人間に伝染するということ。それを心して気おつけなければならないということだ」



つまりこの舛添問題の期間中、それにのめり込む多くの人が舛添の人相と似てきたということである。



まあ、寝たのだからしょうがないわな。



     

 

2016/04/01(Fri)

catMelonを終了します。


十五年間長い間のご愛読ありがとうございました。
謹んでお礼申し上げるとともに皆様のご健康をお祈り申し上げます。

藤原新也

     

 

2016/03/08(Tue)

安部も無責任だが安部だけが無責任というわけではない。(Catwalkより転載)

「大鮃」の海を行くCatwalk号が少々難所にさしかかっていて現在迂回中である。

この難所をなんとかクリアーできれば目的地に着くはずだが、自然というものはいつ何時異変があるかも知れないので要注意。

3月いっぱいが締め切りということは読み返しと添削修正、あるいは書き換えを考えると遅くともこの20日には脱稿しなくてはならないがギリギリの状態だ。

大きな反響を呼んでいるCatwalk内での小説「大鮃」連載の構成もあり、その間しばらくはこのトークも休眠状態となるので悪しからず。





ところで先にいち早くトークで取り上げた「日本死ね!!!」問題がひろがりを見せ、衆議院予算委員会では民主党の山尾桜里議員がこのブログを紹介しながら政府に質問し、安部首相はこのブログが匿名であることを理由に撥ねつけ、それが波紋を呼びさらなる批判の輪が広がっている。



だがここで違和感を持つのはこの日本死ね!!!という抗議は現政権に向けられたというより、戦後の日本の為政に向けられたと考えるべきであり、そういう意味では過去に政権を取った民主党にも責任があるわけだ。

野党に転落したからといって一転してこの問題に攻めの姿勢に入るのは厚顔無恥。



それでなくとも「国連子ども権利委員会」から日本は公式に児童養護施設の不足について勧告を受けているのである。



この勧告が2010年のことだから民主党が2009年に政権を取った直後のことであり、それ以降3年半の民主党政権はこの勧告を受けて何をしてきたのかということも問われねばならないわけだ。



ということでこの問題の国会の論議を見ているとまあいつもの責任のなすりあいであり、国会議員の幼児化がますます進んでいると言わざるをえない。



また今回の出来事で感じるのはネットというものの拡散力である。

かりに今回の「日本死ね!!!」という過激な言葉とともに3つもビックリ雨だれマークのついた記事が新聞の声欄などに掲載された場合ここまでの広がりを見せるかというとそうはならないだろう。



というより、言葉に対する検閲と自己規制の蔓延する新聞メディアではこの「日本死ね!!!」というタイトルはまず確実に却下となる。



なにも過激がよいというわけではないが、言葉が規制の先を飛び越えることも時には必要ということであり、ネットにおける言葉の無規範が時には効を奏すこともあるということである。



     

 

2016/02/26(Fri)

日本死ね!!!問題、その他の日本死ね、問題。(Cat Walkより転載)

すでにご存知と思うが今月15日にはてな匿名ダイアリーに主婦が投稿した「保育園に落ちた日本死ね!!!」が各方面で話題になっている。

15日の時点で情報が寄せられ、これは話題になるかもと思っていたら案の定拡散した。

ののしり言葉汚くもなかなか正論である。

必要は発明の母というが、切実な思いがあるからこそこういった簡潔な文章の中で自分の思いを訴えることが出来たのだろう。








「なんなんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。

昨日見事に保育園落ちたわ。

どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」「子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ。

子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」

「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増せよ。

オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。

エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。

有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。

どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本」

「保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。

保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。

国が子供産ませないでどうすんだよ。

金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから・・・国会議員を半分くらいクビにすりゃ財源作れるだろ。まじいい加減にしろ日本」



この投稿に対してのさまざまな反応の中で「保育園の第一志望に受かったけどやっぱり日本死ね!!!」の投稿も長文だがなかなか含蓄があって面白い。



http://anond.hatelabo.jp/20160218153103










この保育園問題のみならず社会保障のない非正規雇用や若者の奴隷化など子供を生まない原因はこの国には満載しているわけだが、問題はそれのみにとどまらず、私は昨今世間に蔓延する幼児虐待もひとつには日本という国の子育て環境の劣悪が生み落としたものと思っている。

非正規雇用の食うや食わずの若い夫婦が子供を産んだはいいが子供を保育園に入れることも出来ず一人が満足に働けない状態になり、生活に追い詰められれば、その困窮の原因を子供にぶつけるということも当然起こってくる。

日本死ね!!!問題はそういった場面にも波及しているということである。このケースでは日本死ね!!!ではなく「子供死ね!!!」となるわけだ。









さて、2月も終わりみ近づいたが、以前にも書いたようにマスメディア環境が大きく変わる。

これも「日本死ね!!!」問題のひとつである。

以下、ある雑誌に書いた原稿を転載する。






メディア冬の時代。


この四月にはメディアの風景が大きく変わっている。

TBS のNEWS23のキャスター、岸井成格とテレビ朝日のニュースステーションの古舘伊知郎、それにNHKのクローズアップ現代の国谷裕子が軒並み番組を降ろされる。

NEWS23の筑紫哲也時代の流れを汲んだ毎日新聞論説委員の岸井は、とくに安保法制に関し手厳しいコメントを吐き、ニュースステーションの古館もまた原発問題をはじめ政府の政策に対し批判的なコメントを吐いていることは知られているところのものだが、かつて筑紫哲也と話したとき、こういった報道というものは権力批判という基本姿勢を持つのが健全な姿だと彼は語っている。



つまり権力とはただでも強大な力を持つわけだから、その暴走を防ぐためにつねにその監視とチェックを行うのが報道の基本的なあり方だと彼は言う。

そういう意味では件の二局は報道としての矜持を保っていると言えるわけだが、昨今政府の政策に対し批判的な意見を述べるメディアは軒並み偏向報道とみなす空気が生まれ、どこでどのような圧力がかかったかは不明だが結果的にこの三月の大改変となった。



クローズアップ現代の国谷裕子は番組の性格上自らの意見を強く述べるようなことはないが、菅官房長官へのインタビューの際に台本にない追求をしたということで菅側近の怒りを買った経緯がある。



以降国谷降板論が取りざたされるようになったわけだが、往年の大臣ならそういったキャスターの追求など気にしないばかりか敵ながらあっぱれというくらいの懐の深さがあったように思う。



一方、政府は新聞に関しては軽減税率を適用するというかたちで台所事情に苦しい大新聞各紙に対し大盤振る舞いを行ったわけだが、この決定と政府方針に批判的なメディアが姿を消すという同時期に起こったことは表裏一体(飴とムチ)と見るべきだろう。



そしてこの“飴玉”は見事に功を奏し、この“三月粛清”とも言うべきメディアの危機に正面からもの言う大メディアはどこにも見当たらない。



要するに時系列を追って行くと市井の人間には見えないところで巧妙にメディアコントロールがなされているという風景が浮かび上がるわけだが、折しもこの原稿を書いている二日前、言論統制時系列の“仕上げ”でもあるかのように総務大臣の高市早苗は政治的公平性を欠く放送局の電波停止に言及している。




(Cat Walkではもう少し過激なことを書いているが、公開ブログではここまでだろう)

     

 

2016/02/23(Tue)

日本人のポチ化と猫ブームのただならぬ関係についてひと言。(Cat Walkより転載)

NHKで猫が経済を押し上げるというようなニュースが報じられるというのは、よほど昨今の猫ブームはすごいのだろう。

当Catwalkでも猫がアイコンであるわけだが、Catwalkはにわか仕立てではなく、今から15年前、猫?どうなの。という時代からCatwalkの前身CatMelonとして猫をアイコン化していた。

そういう意味では筋金入りの猫であり、時勢に乗った猫とは異なる。

ニュースでは猫を飼う人が増え、反対に犬を飼う人が減っているというこのご時世の傾向を報じていたが、こういったご時世に乗って猫を飼う人が増えているということは日本人が犬化してることの現れとCatwalk号の船長は見る。

つまり平成時代の日本人の特性であるKY(空気を読む)傾向がますます顕著になり、そういった人の顔色ばかりをうかがってKYに絡めとられ日々を過ごしている人々にとってはKMである猫という動物は自分の欠損を埋めてくれるセラピーとして機能するわけだ。

因みに犬の性格はKY(空気を読む)。

猫の性格はKM(空気を無視する)である。

猫ブームが興隆すればするほど日本人が犬化しているという所以である。

さてところでCatwalkの前身でありいち早く猫をシンボル化したCatMelonは当初の予定通り来月末を持って無事終了することとなった。

これは立ち上げ時の2000年のブログで15年間のランニングと公表していることであり、別に何かがあったというわけではない。

ひとつにはサイトはCatwalk一本にしぼり集中したいということもある。

CatMelon当時からのCatwalk乗組員は懐かしいサイトが消え、少し寂しいかも知れないが決めていたことだから致し方ない。

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このクロコほど空気を無視する猫も珍しい。

呼んでも返事をしない。

とうぜんやって来ないばかりか時には反対方向に歩く。

餌をやっても小指の先ほどしか食べず、勝手に何かをどこかで食べている。

抱いても喜ばす、おもむろに立ち去る。

まあ、ちょっと船長に似ていると言えば言えなくもないが。



     

 

2016/02/14(Sun)

「Cat Melon」の終了について。


このたび2000年より運営してまいりました藤原新也の公開サイト「Cat Melon」は2016年3月末日(3月末日まで更新)を持ちまして終了し、会員制サイト「Cat walk」のみに一本化する運びとなりました。

この処置は立ち上げの当初アナウンスしましたように15年間のランニングを目標としていたためです。

なお、過去のブログのアーカイブはしばらくの間そのまま残し、お読みになることは出来ますが、読者アクセスが一定数を切った段階で閉じる可能性もあります。

長い間のご愛読、感謝申し上げます。
ありがとうございました。


                                        Catwalk編集部

     

 

2016/02/05(Fri)

あのときすれ違った清原君に思うこと。(Cat Walkより)

私のマンションからほど遠くないところに居を構えていた清原と一度だけ路上ですれ違ったことがある。
無理して真っ黒に日焼けした顔にホワイトニングした真っ白い歯、そして似合わないピアスが痛々しい感じがした。


その時感じたのは言葉という武器を持たない彼はそのコンプレックスを補うように野球選手時代と同様、身体で自己表現するしか方法がなかったのかも知れないということだ。


一方、永遠のライバルと言われる桑田はテレビのインタビューにまるで用意したかのようにあざといほどの言葉の演出。


「野球では自分の調子が悪ければ代打がいるが野球をやめればピンチヒッターがいるわけではないので自分が自分を支えなければならない。(中略)清原君には逆転満塁ホームランの大きな放物線を描いて立ち直ってほしい」




野球をやめた清原にはこの”言葉の世界”で世間にアピールする術がなく、おおかた失語症の年月を苦しまなければならなかった。

桑田にふたたび決別の意を示したのはいつもこの言葉の落差にジェラシーと焦りを感じていたからかも知れない。


タトゥーや薬物は自分の欠損を補おうとする自慰行為という一面がある。

陥るべくして陥ったとも言える彼の行状が不憫である。

     

 

2016/01/29(Fri)

甘利経済産業大臣辞任に関する寸評(Catwalkより)。


甘利経済産業大臣が能力のある人物かどうかは別として彼の辞任は世界経済のパワーポリティクスにおける日本の立場を弱体化させるという意味で大きなマイナスであることは言うまでもない。



とくにTPP交渉におけるこれまでの積み重ねと、なによりもそれに付随する人間関係が絶たれることの損失は日本経済の損失に繋がる。

後任のお坊ちゃん石原伸晃ではアメリカに対峙するには脆弱にすぎる。


こういった政治的損失が敵対勢力にかかわる政治ゴロの仕掛けによってもたらされたとするなら下品なヤクザの抗争に似た政争によって日本の政治はいっこうに前に進まないという馬鹿げたことになる。





小沢一郎が政治資金問題に関する嘘のでっち上げによって彼の政治生命が絶たれたように、この馬鹿げた政争と落とし入れの罠によって能力のある人材、あるいは政治資産が失われるというのはニッポン政治の宿命のようなものであり、日本が未だに未開国家並みであることを表しており、今後もこの重箱の隅を突くような週刊誌ノリの政争は延々と続き、日本沈没に拍車をかけるだろう。



そういう意味でどのみち政治資金というのは裏で大きな金が動いているのだから、規制をゆるやかにする方がよほど理に叶っていると言える。

     

 

2016/01/20(Wed)

気色ワル!!




安倍首相がSMAPにすり寄るのはキムタクが安倍首相にすり寄るくらい気色が悪い。









                          

     

 

2016/01/19(Tue)

日台、ふたつの公開処刑。(CatWalkより転載)

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騒動になっているSMAP問題にひとこと。

長年芸能界において白日のもとに堂々と営業している芸者置屋「ジャニーズ帝国」のタレント群はただの人形であり、こういった人形は撮る気がしない。
以前、TOKIOのメンバーを撮ってくれないかという申し出があったとき「興味がない」と断ったのもそういった理由からだ。
今回世間を騒がせているSMAPであってもまったく撮り心を誘われない。

写真を撮る気持ちというものは正直なものである。



ところで今回のSMAPの公開謝罪はジャニーズ帝国による公開処刑だとネットではもっぱらの評判だが、ほぼ同じころ台湾においてもあるタレントの公開処刑の映像が流れた。

それは韓国で活躍している人気タレントの周子瑜さん(16歳)が台湾(中華民国)国旗と韓国国旗を持ってテレビに出たことに中国で活躍する台湾タレントが反発し、中台問題に発展した事件である。

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台湾国旗と韓国国旗を持ってテレビに出た周子瑜さん。

結果的には周子瑜さんはちょうどSMAPがジャニーズ帝国に対して公開処刑の場で謝罪したように周子瑜さんも公開の場で謝罪することとなった。

SMAPの公開謝罪(処刑)
https://www.youtube.com/watch?v=dmeHJ5dcL6o

周子瑜さんの公開謝罪(処刑)
https://www.youtube.com/watch?v=t57URqSp5Ew#t=27

周子瑜さん事件の詳報
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/16-1.php

いわゆるこの台湾の総統選挙投票日直前に行われたツウィ謝罪事件は中国本土の息がかかったものだが、これが裏目に出て私の台湾本を出している張さんの周辺のふだんはノンポリの若者もこぞって投票に行った(私もこのツウィ謝罪事件にコメントを出した)。

今回の台湾総統選挙で民進党がダブルスコアで大勝した背景は意外にもこの事件が大きく作用しているのである。

また香港で本土批判の本を出版している書店の店主以下5名が行方不明になっているという事件も台湾では大きく報道され、これも今回蔡英文の大勝を後押ししている。



だがこのふたつの公開処刑による日台の若者の反応は逆対象である。

SMAP問題が出るや日本ではネット配信でかつての「世界で一つだけの花」が4日連続で一位となるという風に「元の鞘に収まれ運動」のようなものが盛り上がり、台湾においては中国(ジャニーズ帝国)に反発して総統選挙であのような結果を生んだ。

ネットではさらに今回のSMAPの公開処刑をISの公開処刑になぞらる映像まで出ており、面白いことに周子瑜さんの公開処刑も中国本土のネット画像でISの公開処刑になぞらる映像が出てすぐに削除されているらしい。

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ネットに流れるISカリカチュアの映像。


     

 

2015/12/22(Tue)

雨降って地ぬかるみ、日本回帰の不気味をなぜ誰も指摘しないのか。(CatWalkより転載)

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ザハ・ハディッド案


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A案 欅(けやき)の樹らしい樹の向こうの木造。円形五重の塔を思わせる


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B案 桜並木の向こうの巨大な集成材木造柱は伊勢神宮の鳥居や、御柱を彷彿とさせる。


 





磯崎新がザハ案の勝手な改変版を「溺れた亀」と怒りを込めて揶揄したように、いっぱしの建築家ならザハ案廃棄後に今回日本の建築家から出された2案は食えない代物であることをとうに見抜いているはずだ。


私には雨降って地固まるではなく、妙にジメジメした日本的なぬかるみに回帰したとしか思えない。


木造、植栽、寺社、環境に優しい、回帰指向の日本人向けてんこ盛りである。


創造とはいままでに見たこともないようなものの創出であり、建築であれ音楽であれ、写真であれ、絵画であれ、これまで人間の創造の歴史というものは過去を裏切り、未来への冒険があったからこそ進化したわけだ。


そういう意味で、建築費その他いくつかの問題があろうとザハの建築というものは私たちがこれまで目にして来た建築の概念すら変える宇宙感があった。


この宇宙感、浮遊感は彼女がアラジンの魔法のランプや空飛ぶ絨毯を生み出したイスラムの血を持つからこそ出来た空想であり、にもかかわらずそれはイスラムにも西欧にも当然この日本にも属さない”不所属”の巨大なオブジェであることが重要な点である。


911以降、ブッシュが世界を悪魔と正義に分けたように、以降大は西欧世界とIS的アラブ世界対立、小はこの日本においても原発問題や政治世界で不毛な所属意識と対立が見られるように、世界は所属と敵対の時代がはじまった。


こういった時代にどこにも属さない価値を見いだすことは困難である。


そして芸術というものは”属さない”からこそ、そこに本来のデゾンデートル(存在理由)があり、911以降の所属と敵対の時代にあってなおさら芸術の持つそのような本質は重要なものになっている。


私はザハの新国立競技場案はそういう意味でこの極所属の時代において、どこにも属さない、さらには人間社会にすら属さないフィギアの創出だったと個人的には感じている。


ところがゼネコンの暗い闇かなんかわからぬが、わけのわからぬ政治が動き、この建築は豪雨に見舞われ、馬鹿な修正が施され溺れる亀となり、ついには洪水の中に本当溺れてしまった。


その豪雨のあとに立ち現れたのが日本の建築家による2案であるわけだが、その結果、雨降って地固まるではなく、なんとあの実に日本的としか言いようのないジメジメした”ぬかるみ建築”が現れたわけだ。


このまるで寺社を思わせる日本回帰のてんこ盛りには反吐が出る(断っておくが私は寺社が嫌いというのではない。芸術がそれに回帰するのは安易に過ぎ、時に危険であるということだ)。


つまりこれらの2案はザハの建築が不所属という芸術の神髄を貫いた姿とは真逆の、所属、さらには回帰というアナクロ(時代錯誤)建築であり、こんなものに日本の未来があるとは思えない。


だが今回さらに問題とすべきところは、このザバ案却下後に出された2案が、国民からひろく意見を聞き偏りのない選定をうたっていながら、なぜ揃いも揃って日本回帰建築様式だったのかという不思議である。


それは雨降ってサバ案が却下されるとともに安藤忠雄をはじめとする建築家主導の選定から、そのコントロールが政府官邸下に置かれたことと無縁ではないように思われる。


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http://www.kantei.go.jp/jp/headline/shinkokuritsu_saikento_suishin.html


一見国民の意見や有識者の意見を聞くとしながら「新国立競技場整備計画再検討のための関係閣僚会議」なるものの構成員が以下のようにすべて自民党の閣僚で占められているのである。



議長

東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣


副議長

内閣官房長官

文部科学大臣


構成員

外務大臣

財務大臣

国土交通大臣


つまり今回の2案はドサクサまぎれの漁夫の利によって官邸主導による自民党内でコントロールされたということである。


この流れの中でかつてなく右傾化の度を増し始めている安倍首相をはじめとする官邸、自民の意向が反映され揃って今回の日本回帰型(右傾型)建築2案が提示されたと考えるなら今回の不思議は説明がつく。


世間はあるいはジャーナリズムは、そして建築家や有識者はなぜこの点を指摘しないのか、これも不思議である。


公開制で公平に建築案が募集され、結果的に日本回帰型が出て来たというのならそれはしょうがないことだが、本来デザインとは関係のない一党独裁の色彩の強い政権政党がデザイン案の選定を握ってしまった結果が今回の日本回帰型2案に収斂したであろうことは容易に想像がつくわけだ。


本来政権政党が干渉すべき種類のものではない、公共事業のデザイン分野までコントロールしはじめている今回の一件を精査するに、あらためて強権の時代になったものだとの思いを強くする。


因みにベルリンオリンピックの公共物のデザインをヒトラー政権がコントロール下に置いたことは広く知られている。この時、ヒトラーの愛人と言われオリンピック映画「民族の祭典」を監督した歴史的人物101歳まで生きたレニ・リーフェンシュタールに私は会っているが、このおりのツーショットが見当たらず見つかったらその折の印象をいずれ書いてみたい。




2案のパースの下手くそさと幼稚さが、ザハ案のパースの成熟と比べると恥ずかしい。A案の群像のもっとも近景に身体障害者を思わせる車椅子をシンメトリーに配置するところなど、時代に媚び、至れり尽くせりで気持ちが悪い。


     

 

2015/11/17(Tue)

人命軽視指数1対3800に思いを馳せる。


ロシアも加わった勇士連合のシリアへの空爆は2000回を越え、空爆によって市井の人々を含む50万人以上の人々が犠牲になっていると言われる。



ロシアも加わった有志連合のシリアへの空爆は8000回を越え、アフガン、イラク戦争を通じて空爆によって市井の人々を含む50万人以上の人々が犠牲になっていると言われる(シリアでは監視の出来ないアメリカ主導の国連監視団が一般人の死者は500というのは不思議な数字)



今回パリのテロで亡くなった人が130人とすれば人命軽視指数は1対3800となる。




当然パリのテロを肯定することは出来ないが、私たちはパリで犠牲になった人々とともにシリアにおける戦闘員以外の市井の人々の犠牲にも目を向ける必要がある。



今回パリで起こったエマージェンシーはシリアでは毎日起こっていることなのである。



その結果、ISの脅威から逃れる以上に空爆によって、大量の難民がトルコや欧州を目指したわけだ。



つまり有志連合国は自らの所業によって大量のシリア難民を自国へと導き寄せているのである。



このような流れの中でパリでテロが発生し、そのテロリストの傍らにシリア難民のパスポートが転がっていたという誰が発信したかわからぬ情報はきわめて出来が悪い。



テロを行うのに偽造パスポートでない限り自分のアイデンティティを所有する間抜けはこの世にはいない。

このガセ情報によっておそらくシリア難民に対する防御と排斥は欧州において高まるだろう。

空爆によって叩き出され、その空爆国からさらに追い払われるやもしれぬシリアの無辜の民はいったいどこに行くのだ。











このような状況下、日本の報道はどうなっているかとたまたま10分ほど池上彰の生放送のテロ特番を見て驚いた。



ひとりの女の子タレントがこうなると強い国が一体となって攻めなければ悲劇は終わらないというようなことを言っていたのである。

可愛い子ちゃんのおぞまじい危険思想である。

いかに報道バラエティ番組であろうと、その稚拙発言を池上が制そうとしなかったのはその発言の危険性に気づいていなかったとしか言いようがない。



池上の政権に対する姿勢を買っていた私もこの騒然としたエマージェンシーの中で彼も高揚感で我を失っているか、というよりあるいは「良識」というものの限界を見た思いがある。



そして時あたかもこの女の子タレントの進言どおりのことが起こりつつ在る。

航空機爆発によって同じテロ被害者となったロシアのプーチンは勇士連合と足並みをそろえ徹底的な反撃に出るという情報がもたらされはじめているのである。



アフガニスタンの国連医療施設が空爆されたように、空爆というまったくいい加減でアバウトな暴力、あるいは組織的なテロだと言っても過言ではない。

この空爆の拡大によって以前にも増して逃げ場すら失ったシリアの無辜の民が無差別に殺戮される日が迫っているとすれば動くことを許されない彼らの傍らには時限爆弾が仕掛けられているということである。

     

 

2015/09/19(Sat)

もう「傘がない」は歌うな。

”雨の試練”の中で安保法制は成立した。

2015年の安保法制をめぐる争議とは、思うに60年、70年安保闘争につづく”安保闘争”だったと言えるだろう。



だが60年安保闘争時の岸信介は吉田茂が結んだアメリカとの不平等条約を是正するためにアメリカに乗り込んだ上で新たな安保条約を目指したわけであり、アメリカの腹話術人形となってしまった孫の安倍首相とは異なることを認識しておきたい。

安倍は岸を越えてはいない。

そればかりか岸と敵対していたアメリカべったりの吉田茂の孫麻生太郎とタッグを組んでいるのだから岸の意に反しているわけだ。










今回の15年安保闘争は規模はその前の安保闘争とくらべ、規模は小さかったが取り決められたその内容は実質的な憲法九条改正であり、さらにアメリカの戦争に加担という意味からすれば60年、70年安保より重要な局面だったと思う。



そして雨の中、有り体に言えば闘争は60年、70年安保闘争と同じように敗北を喫した(というより勝負にならない闘いだったと言える)わけだが、私は今回運動に参加した若者と会ったおりにひとつだけ伝えたいことがある。



それは過去の二の舞を踏むなということである。



ご承知のように70年安保闘争が敗北に終わって世の中に蔓延した気分は「しらけ」だった。



そのしらけの気分と行動様式は以前にもこのトークで触れた井上陽水の歌「傘がない」(今日の政治問題より恋人に会うための傘がないことの方が問題と歌った)に象徴される。



さらには「私の人生暗かった。どうすりゃいいのよこの私」と歌った藤圭子の「夢は夜ひらく」。あるいは昭和枯れススキ。吉田拓郎の結婚しようよ。などなど、時代には厭世気分が横溢する。


安保闘争世代と言えば団塊の世代と重なるわけだが、この日本の政治的危機に際し、その世代を象徴する作家や表現者、村上春樹、沢木耕太郎、糸井重里など、反対であれ賛成であれ一切政治問題に触れないのは70年安保トラウマを引きずっているという見方も出来るだろう(団塊の世代にも15年安保闘争に参加した方はたくさんいらっしゃるが)。



この安保闘争世代の厭世としらけという時代気分は後年までトラウマのごとく日本人の無意識の中に浸透し、その時代気分はのちの世代の若者の政治問題への無関心にまで引き継がれたと私は見ている。



だが、秘密保護法、憲法改正、集団的自衛権のみならず、若者の過酷な雇用制度、年金への不安などによってマグマの貯まった若者の意識は45年ぶりに目覚めた。



その意味においてこの15年安保闘争の敗北に際し、過去の轍を踏むなと言いたいのだ。



もう「傘がない」は歌うな、と。



過去の二の舞を踏むことなく、自からのためにも後に続く世代のためにも、君たちは別の歌を歌わなければならない。



私はそのように言いたい。

     

 

2015/09/14(Mon)

今週の安保法制(集団的自衛権)成立に向けて視野に入れておくべきこと。(CatWalkより転載)

東日本大震災の折もそうだが、今回の鬼怒川水害においていつもながら献身的な活動をする自衛隊員の姿を見ながら、不穏な映像が頭を過ぎってしまう。

おそらく今週強行採決によって成立する集団的自衛権によってこれらの一途な青年たちが幾年か後にはアメリカの補填兵として戦争に加担させられ、犬死にする姿と二重写しに見えてしまうのである。

安倍政権というのは先の参議院選のおりにも「ねじれ国会」という造語を編み出したように、小手先の言葉の詐術に長けており、この集団的自衛権という言葉もまた詐術のひとつだった。

いかにも自分の国を守るための同盟と聞こえて来る集団的自衛権(積極的平和主義)という言葉も政権側が用意した洗脳用語であり、実情は「集団的進攻権」「集団的交戦権」あるいは「集団的共闘権」というべきものである。

そしてそういった用語変換をするまでもなく、ある意味で「集団的自衛権」という言葉の中にすでにアメリカとの共闘が含まれているとも言える。

私たちがこれまで使って来ている集団的自衛権という言葉は“日本を守る”が主語となったあくまで日本側からの視点であり、逆の視点が抜け落ちているのである。

つまりアメリカ側の主語として集団的自衛権という言葉を解釈するなら“アメリカを守る”ための協定となるわけであり、つまりアメリカの戦争に加担するという意味になるわけだ。

その他者側からの視点が抜け落ちているのがいかにも平和ボケ国家らしい。

そのようにアメリカにおいてもこれがアメリカを守る集団的自衛権であることをはっきりと指し示したのが4月29日のアメリカ議会における安倍演説ののち、5月13日に出たアメリカの右派新聞、星条旗新聞の記事だった。

安倍はオスプレイ購入3、600億のご褒美によってアメリカ議会演説を与えられ、得意満面で次のような背中がむずがゆくなるような結びの言葉を述べている。

「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を“希望の同盟”と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。“希望の同盟!”。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。」

この言葉に隠れている本質は以下のようになる。

「米国が世界に与えた罪科、それは、昔も、今も、将来も、他国における戦争であった、戦争である、そして覇権でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を“戦争のための同盟”と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかにアメリカ的なる場所にしていこうではありませんか。“戦争の同盟!”。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。」

安倍演説から2週間後の5月13日、この協定がアメリカのものであることを証明するアメリカの右派新聞「星条旗新聞」においてあまりにも露骨な、というよりいかにもアメリカ人らしい他者を無視した無邪気な、本音論評が出た。

すでにアメリカでは来年度2016年の国防予算と兵士4万人の削減が日本の安保法制(集団的自衛権)成立を前提に組まれているとそこには書かれている。

戦費拡大に困窮したアメリカは軍の海外活動を縮小し、軍事力は海軍と空軍だけに集中。

縮小する陸軍は日本の自衛隊に肩代わりさせるという内容になっているのである。

一見難航しているように見える安保法制の審議についてもご丁寧に「野党がいかに激しく反発しても関係なく、与党は法案を可決するために十分な議席を持っています」という旨の記述まである。

http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012

兵士4万人の削減(文官1万7000人も削減)というのは軍事面に明るい人に聞くと兵士の数は49万人から約45万人に減り、第2次世界大戦以降最低の水準になるということでこれは大変なことらしい。

安倍はアメリカ艦船に乗せられて海外から避難する日本家族などのイラストで“甘っちょろい”自衛論を展開したわけだが、このアメリカという国は非常に緻密かつ冷酷に日本の若者の徴用計画を着々と練っていたわけだ。

鬼怒川において奮闘する自衛隊の若者が幾年後かにアメリカの戦争によって犬死にする姿と二重写しに見えてしまう所以である。

辺野古問題もまた政府対沖縄の構図の中にあるのではなく、集団的自衛権同様アメリカの冷酷な計画図(というより集団的自衛権と同時進行)の中にあり日本はアメリカによって心臓をわしづかみにされているということだ。

日本は日本在住アメリカ米軍に78年から20兆円を投入し、加えてこの5年で24兆7000億円のアメリカ製兵器を購入しているとの試算がある。戦後70年間にアメリカに貢いだ総金は1000兆を超えるという。

皮肉にも日本の財政赤字1020兆円と重なり合う。

このようにことアメリカとの関係は理不尽という言葉に尽きるわけだが、ただしこの国防に関しては原発問題のように明確な答えが出るわけではなく、私個人は戦後もっとも戦争をしてきたアメリカの戦争に加担する集団的自衛権には反対だが、日本は自国を守るために個別的自衛権をきちんと確立することは必要だとの考えであり、単純な左派的思考に汲みしない。

このあたりは一部のCatwalk乗組員諸氏とは意見を異にするかも知れない。

しかしCatwalkという枠組みの中にあっても国防に関しては平場であり船長、乗組員の意見の違いはあってしかるべきだと考えている。

     

 

2015/07/14(Tue)

まさかの番組編成。デマであってほしい(Catwalkより転載)

さる5月26日の集団的自衛権の行使容認などを含む安保法制(安全保障関連法案)の国会審議中継ナシに続き、明日15日の安保法案(強行)採決、NHKでの中継ナシの模様。



日頃どうでもよい国会中継を長々と垂れ流していながら、戦後日本の歴史を変えると言っても過言ではない国会審議の中継をしないというのは、安倍が籾井にねじ込んだ結果のトップダウンとしか考えられない。



これは一プロデューサーやディレクターで判断できるレベルの代物ではないからだ。



安保法案是非にかかわらず、国民の知る権利を剥奪する無理圧状に対し、右派左派を問わず抗議の声を上げなければ、日本は北朝鮮にならぶ言論統制国家に堕ちる。


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