Shinya talk

     

 

2021/01/12(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.43関野吉晴さんとのダイアローグ・その4

     

 

2021/01/06(Wed)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.42「冒険家関野吉晴さんとのダイアローグ3」

     

 

2020/12/31(Thu)

Podcast 「新東京漂流」Vol.41関野吉晴とのダイアローグ。

     

 

2020/12/22(Tue)

Podcast 「新東京漂流」Vol.40 冒険家関野吉晴さんとのダイアローグ。


関野さんはご存知の様に冒険家だが、お医者さんでもある。



今回、関野さんと対談したいと思ったのは私と同じ様に実戦で世界に触れた彼が今回のコロナ問題をどの様に考えているかを知りたいためである。



第3回目あたりから、その思いが語られるが、思うにコロナ問題に関し、学者の机上の論に偏って聴いていた私たちの耳にはきっと新鮮だと思う。



このコロナ問題に関しては学者や政治家や医師の話のみでなく、あらゆる分野の人々が自分のフィールドならではの独自の見解を述べるべきだと感じた次第だ。




Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/12/16(Wed)

要は危機管理の問題に尽きる。(CATWALKより転載)

先週の金曜に金曜爆弾を落としたばかりだが、また火薬庫から爆弾を取り出さなければならず、爆弾の品薄に頭を痛めるとともに、いったいこいつは爆弾を落とす価値のある輩なのかと一瞬手が止まる。


何を言おうとしているのかは先刻おわかりのことと思うが、そう、菅の銀座での8人会食”事件”である。
菅は記者連の囲みで会食等は4人以下とするようにとのアナウンスを行っているわけだが、その言葉根の乾かぬ一昨日、銀座の高級ステーキ点で8人の忘年会を行ったとある。


テレビでは赤ら顔でレストランから出てくる面々が映し出されるが、この平均年齢は78歳。

つまりご丁寧にもこぞってコロナ重症化閾値年齢。


耄碌しているからこんなご時世に自粛とはほど遠い宴会をのうのうとやっているのというのならレストランを出たその足でそのまま揃って介護付き老人ホームに直行していただきたいわけだが、そこに一国の総理が居るとなると冗談を言っている場合ではない。










銀座の有名な高級ステーキレストランと言えばすぐに銀座の「かわむら」と新橋演舞場の真ん前にある「銀座ひらやま」に思いが至るが探ってみるとどうやら船長も昔人に招待されて行ったことのある「ひらやま」らしい。

予約困難でディナーは3万円( 今は7〜8万くらいらしい)くらい。あの店内でコロナ対応の仕切り板が設置されているとは思えず、その意味においても不用心この上ない。


先週の金曜には例の「ガースー」”事件”で爆弾を落としたわけだが、船長がなぜ爆弾を落としたかというと、世間の非難論調となっているこんな緊急事態に冗談を飛ばして笑っている場合かというそんなことではない。


またこの「銀座ひらやま」”事件”においても国民には4人以上の会食を慎むように言っていながら自分たちは大勢の会食をしているという直裁な怒りを船長は表明しているのでもない。


船長の怒りは自己の危機管理が出来ていないということに尽きる。


つまりコロナ緊急事態がますます高まっているさなか、一国の長がエヘラヘラ笑いながらガースーですと言って公のメディアに登場した場合、国民やメディアに非難の嵐が巻き起こるのは当たり前のことであり、そのような当たり前のことも想像出来ない、つまり一国の首長としての、というより自分自身に対しての危機管理の甘さに怒りを覚えるわけだ。


この銀座ステーキ事件においてもまったく同様の事だ。

4人以上の会食を慎むようにと囲み会見で言ったその足で8人の宴会をやたら目立つあの銀座の高級ステーキ店でやったとするなら、ガースー”事件”を超えた”事件”なることは火を見るよりあきらかであり、そういう想像力の働かない一国の首長の存在に怒りを覚えるのである。


つまり今回のふたつのみっともない事件は何を表しているかと言うと、自己の危機管理すらまともに出来ない一国の首長が全国民の命を預かるべく危機管理なぞ到底できるものではないということを表しているわけであり、それでもなおかつ一国の首長の座に居座り続ける仕組みいなっている、そのことに怒りを覚えているということである。


ちなみにガースーとはネットでは蔑視用語として流通しているわけであり、ひょっとするとガースー発言は菅の自身の無能ぶりを、ネットで表明したのかも知れぬ。

そうであるとするなら結構自分のことを客観視出来ていると言うことだろう。








     

 

2020/12/15(Tue)

「門司港サウダーデ再び・伯翠庵最後の夜に」


コロナトークが続き、焦土の見える低空飛行だが、ここで伯翠庵の物語のシメと行きたい。

伯翠庵の物語は板長の作った懐石料理の一品一品に感想を述べるところで終わっているのだが、本来書籍で言えば後書きのようなものがついていたのである。

しかし気分が今ひとつで録音がうまく行かず、そのまま据え置いていたのだが先週の末に気持ちを立て直して一気に録音した。

それが今日アップした以下のPodcast「門司港サウダーデ再び・伯翠庵最後の夜に」である。

これで伯翠庵物語はしっかりした余韻を残し終わりとなる。





Podcast 藤原新也「新東京漂流」



     

 

2020/12/08(Tue)

Podcast 藤原新也「新東京漂流」


茂木さんとの対談は本日4回目で終了だが、4回目は茂木さんに乞われるかたちで主に人物を撮る時の写真論を展開している。

茂木さんの興味の在りどころが写真の琴線に触れるものであったため、なかなか興味深い展開となっている。

今回は写真を撮る者にとって決して聞き逃してはならない回である。



Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/12/04(Fri)

竹中と高橋をつまみ出せ(CATWALKより転載)

今日は久々の金曜爆弾である。

ご承知のように元チンピラの船長はこのような局面では言葉が荒っぽくなるが、正論である。






菅政権の内閣官房参与(経済・財政政策担当)の高橋洋一が最近とんでもない案を打ち出し、茂木健一郎やジャーナリストの堀潤などが反発し、「#Eテレのために受信料払ってる」がツイッターのトレンド入りをしている。


内閣官房参与、経済・財政政策担当の初仕事ということなのか、彼はこともあろうにNHKのEテレを民間に売却し、その利潤で受信料を半額にするというとんでもない提案をしているのである。

視聴率競争を背景にメディアの画一化が進む昨今、BSもそうだが(日曜美術館など私も何度か出演している)Eテレのような視聴率にとらわれない独自の番組作りをする局はますます重要度を増している。


そんな情報環境の中、局を金のために民間に売却し、民放化するというのは国民から情報の選択肢を奪う行為であり、文化そのものを破壊する行為でもある。

文化音痴の似非経済学者が芸術や文化に口出しをするととんでもないことになるという見本のようなものだ。



以前にもこのトークで触れたがこの高橋洋一という男は豊島園の” 庭の湯”というレジャー施設の脱衣所の他人のロッカーから現金や腕時計など約30万円をコソ泥し、警視庁練馬警察署に窃盗容疑で書類送検された前科を持っている。


彼がコソ泥を働いたのは2009年3月のことであり、すでに犯罪としては時効となっているが、一般人であるなら、時効以降はその罪科に触れるべきではないが、国政というものに関与し、その挙動が国民の利益不利益につながるような立場である限り、時効はあってもその前科は問われ続けなければならない。

コソ泥を働いたような手癖の悪い不道徳な者がかりに内閣総理大臣になったとすればこれは茶番であり、高橋は内閣官房参与のような国政を預かる立場になってはならないのである。





ではなぜそのような前科者の彼が政権において内閣官房参与に抜擢されたかと言うと竹中平蔵のお友達だからだ。

竹中は小泉元首相と一緒になって郵政民営化を推進し、アメリカに日本を売った売国奴であり、さらには大手人材派遣会社パソナグループの取締役会長を務めながら一方で国政に預かり派遣の法の縛りを解除すという見え透いたマッチポンプをやって私腹を肥やした男だ。

文字通り竹中平蔵のその蔵には汚い金がぎっしり詰め込まれているのである。

首相はなにゆえか、あるいは裏で利害関係にあるのかこの悪魔のような男にぞっこんであり、組閣後、いち早く彼を成長戦略会議の長に据えている。

そんな竹中が東洋大学時代で同じ教鞭を取っていた親しいお間柄の高橋洋一を菅内閣のブレーンに推薦するというようなことがなければ前科者が国政にあずかるというような恥も外聞も無視した人事などありようもないだろう。

ちなみにこの置き引き犯罪は本人もそれを自白しており、そして社会的立場がありながらなぜ書類送検という軽微な罪状で終わったのは彼が元財務官僚で小泉元首相と親交があったからと当時は憶測されたものだ。

つまりかくもズブズブのこの日本固有の政治風土と人脈の中で生きながらえているコソ泥の高橋のような者が門外漢である文化に口出しをし、竹中同様、新自由主義(つまり金が中心の弱肉強食)の投網を国民の頭上に投げようとしているのがEテレ売却論の本質に他ならない。




     

 

2020/12/01(Tue)

Podcast 「新東京漂流」Vol.36脳学者茂木健一郎とのダイアローグ。

     

 

2020/11/27(Fri)

藤原新也 podcast 放送中

     

 

2020/11/17(Tue)

ポッドキャスト・「新東京漂流」Vol.35「脳科学者・茂木健一郎とのダイアローグ」

     

 

2020/11/03(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.33「門司港サウターデ・伯翠庵物語・その2」

     

 

2020/10/31(Sat)

藤原新也 podcast 門司港編、放送中



藤原新也のpodcastが開局されて今現在vol.32回となるが、今、藤原は門司港帰郷の話をしている。
この話がなかなかスリリング。

CATWALK編集部


Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/10/31(Sat)

藤原新也 podcast 放送中

     

 

2020/10/28(Wed)

「非接触時代の行方」の仮説は雛形としてすでに目の前の現実に現れつつあるのではないか。(Cat Walkより転載)

今日は私が最近気になっていることを話してみたい。
ここにひとつの現象がある。

スペイン、フランス、イタリアなど欧州各国のコロナウイルスが再燃し、ふたたびロックダウンに突入せざるを得ないというような状況に陥っているということだ。
私の姪の住むマドリッドでは感染者がうなぎ上りで長期に渡って夜間午後11時から朝8時までの外出禁令が出ている。
ご承知のようにスペインは夜の街であり、夕餉の宴は9〜10時ごろにはじまるわけだから、日本において午後5時以降の外出を禁止するに等しい。
かくもさようにヨーロッパは深刻な事態に直面している。

その状況に関連して私はふとあることを思い出した。



2月だったか3月だったか、つまり新型コロナウイルス騒ぎが持ち上がったころのことである。ある人からひとつの動画が送られてきた。
それはマスクや手洗いを否定するアメリカの若い医者の動画だった。
私はその頃N95マスクの効用や鼻うがいなどの効用をトークを盛んに書き始めたころであり、FOXというメディアが出典元でもありその動画を一笑に付して放置した。

アメリカのCNNがどちらかというとリベラルかつ民主党や、中国寄りなのに対して、FOXは共和党支持者や、アメリカの保守の人たち御用達の古き良きアメリカ的なメディアである。

どちらも大手だが、FOXは白人メディアと言うべきもの。
よく見ると、お医者さんのガタイもかなりいいし、髪型も、古き良きアメリカ的なスタイルだし、ある種のFOXが仕掛けたプロパガンダだと私はそう理解した。

私はその後、ご承知のように私は「非接触時代の行方」と題し、人々の非接触行動が何年も長引くことによって接触によって鍛錬されるはずの腸内細菌叢が弱体化し、日和見感染症に罹患しやすくなるのではないかという仮説を立てている。

そんなさなか、私は今日のヨーロッパの現状と見据えながら、近ごろ小さな戦慄に近いものを覚えつつある。

ひょっとするとその「非接触時代の行方」の仮説は早々と小さな雛形としてすでに現実化しはじめているのではないか。

そのような思いに打たれたのである。

私が3月に無視した動画は以下のものである。
画面が小さく読みにくいのと翻訳が大雑把なので以下に私が多少手を加えた動画のテキストも書き写した。

https://www.youtube.com/watch?v=FFnCUn9zUWU&feature=youtu.be

以下・動画訳。

我々は自分の身を守るために緊急用にはマスクをつけます。
しかし通常われわれはマスクをつけていません。
というのは微生物学、免疫学を理解しているからです。
そして、免疫システムを確保するためです。

我々の免疫システムは触れることによって構築されるのです。
つまりブドウ球菌、連鎖球菌、バクテリア、ウィルスと握手するのです。
これより毎日免疫反応を育てることが可能です。
私からブドウ球菌、連鎖球菌、バクテリア、ウィルスとり省くと、私の免疫システムは下がりさがります。

つまり家に閉じこもると、免疫が下がります。
数ヶ月も閉じこもると、もっと下がります。私たちは家に帰ると派手に手やカウンターを洗いますね(それによって免疫力は低下します)。

われわれは我々が生きるのに必要なものを排除していることを心配しているのです。
免疫不全でもなく、年寄りでもないなら、手袋とマスクなしで外に出るべきです。
あなた方はそういうものなんです。
家に閉じこもったり、マスクや手袋をつけますね。
全員にマスクと手袋が必要とは思いません。それが細菌叢を減らすからです。
これによって社会との接触ができなくなるわけではありません。細菌叢やウィルスは友人なんです。
他の病気から守ってるんです。追い払っているんです。
でなければ、より日和見感染しやすくなります。
我々が全員家に閉じこもり、免疫システムを低下させ、ウィルスやバクテリアを交換し出すとどうなりますか。
病気が急上昇です。重ねて言いますが、ワレワレの免疫システムの構成要素はウィルスとバクテリアです。




ご承知のように今、新型コロナウイルスの再燃現象に見舞われている欧州諸国はこの日本とは異なり早々と外出禁止令を発令し、ロックダウンの完全非接触政策を実行した。

本来ならそれだけ極端な非接触行動を国民に強いたとするなら、その結果、コロナウイルスの活動は収束に向かうはずである。
いやそれを目指したがゆえのロックダウンだった。

だが、奇妙なことにロックダウンを挙行した国において新型コロナウイルスは再燃現象を呈している。

私はその不可解な現象を見ながら、ふと私がお蔵に入れた、あの疑わしい白人メディアの動画のことを思い出し、少なからぬ戦慄を覚えたわけだ。
そこにも一理はあるのではないかと。

「ひょっとするとあの完全非接触・ロックダウンは逆に人々が日々更新しなければならない免疫力を低下させたのではないか?」

それによって人々が解放されてのち、さらに新型コロナウイルスに罹患しやすい体になったのではないか。

そのようなことに思いを馳せながら、私の脳裏に走ったのは当然のことながらあの新型コロナウイルスに対して一切の対策を取らなず放置したスエーデンの現状のことである。
ひょっとするとこの国では新型コロナウイルスの再燃はないのではないか。
調べてみて少なからぬショックを覚える。
スエーデンではやや上昇はみられるものの問題のレベルではなく、いわゆる再燃現象は起きていないのだ。



「非接触時代の行方」は新型コロナウイルス禍による非接触が長期化した場合の仮説だったわけだが、私たちが日々細菌やウイルスに接触することによって自転車操業のごとく日常的に抵抗力の更新をしているという件の動画と、そしてヨーロッパの現状に鑑み、その現象は大団円に移る前の雛形としてすでに現実化しているのではないかと密かに思う。

思うにバクテリアやウイルスというものは日々私たちが体力を養うために食べている食物のようなものと考えると分かりやすいのかも知れない。

それが事実であるとするなら、私たちが今履行しているコロナウイルス対策も修正、もしくは根本的に見直す必要があるわけだ。

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