Shinya talk

     

 

2020/09/03(Thu)

意外と思うかも知れないが。(CATWALKより転載)

令和餓鬼草子、国民そっちのけ派閥によるお手盛り総裁抗争をそのように表現した。

またドブさらいの底から掬い取られた菅というもの言いをした。

だがこれは政局のことを言っているのであり、人物評価ではない。



私たちは近い将来良くも悪くも一人の国民としてそういった腐敗臭匂う政局によって生まれた首相を迎えざるを得ない立場となるわけであり、そういった条件下で人物の好き嫌いを越え、敢えて今回の総裁候補菅、岸田、石破、三者への期待度を表すとするなら意外に思うかも知れないが船長個人は菅現官房長官に1票を入れる。



というのは彼はこの国難時に為政を行う上において他の二候補にはない有利な条件を得ているからだ。



菅は安倍政権7年8ヶ月の間、官房長官として安倍を支えたわけだが、その「支える」の意味は彼が政治家としての信念や方向を指し示したということではなく、あくまで役割としての官房長官を務めたのであり、安倍のいかなる不祥事もそれをフォローする立場を押し通したということである。

彼は最側近として安倍の所業をじっくりと見ており、その成否、善悪も飲み込んだということだ。

彼の強みはその安倍の7年8ヶ月を客観的に眺める立場にあり、当然自分が首相であるならこうする、こうはしないという批評眼を持って安倍の為政をあの冷たい目で見ていたはずだ。

コロナウイルス問題を含め、首相最側近として実践的に問題点を感じていたとするなら、それは彼が首相となって為政をする上における他の二候補にはない強みであり、仮にその経験の上に立って真っ当な為政をしたとするなら化ける可能性があると言うことだ。







彼が首相になって最初にやるべきことは一例として彼の持論であるケータイ企業の暴利構造に手を突っ込むことだ。

これは決して小さいことではなく、まるで税金のごとく老若男女に”課金”される携帯料金がいかに国民を蝕んでいるか。



特に持たないと言う選択肢のない貧困な若者への学割や未成年割引もない法外なスマホやwi-fi課金は改めなければならない。

このコロナウイルス禍であらゆる業種が割りを食っている中、ケータイ企業だけが前期同様の収益を上げているのは理不尽でもある。



だがこう言った巨大企業の収支に手を突っ込むのはよほどの手腕を必要とするわけで、この一点においても首相としての彼の腕が試される。





     

 

2020/09/01(Tue)

令和餓鬼草子。(CATWALKより転載)

安倍政権下8年の腐臭ただよう派閥の排泄物を狙う談合。

菅をドブ浚(さら)いのごとく泥土の底から掬い上げる。

さらにまたぞろ健全与党演出、ガス抜き仕込みお家芸、体制内体制批判若手や小泉の小さな反乱。

これから少なくとも1年間、国民はあのどろんと淀んだ餓鬼草子眼光にさらされることになる。

幸か不幸かこいつらの胸の悪くなるような腐臭をコロナウイルス同時ブロックすべく総マスク装着時代が救いと言うもの。

CATWALKのやるべきひとつは令和餓鬼草子時代の腐臭の浄化と心得る。

200901.jpg

鎌倉飢餓時代の餓鬼草子。
餓死に直面した飢え人にあってはウンコもまた立派な最後の食糧である。
食い物足りた人のウンコを狙って餓鬼が集う。
おそらくこれは実録。
インドにおいては人間の屋外排泄に犬どもが集う。

     

 

2020/07/24(Fri)

Podcast藤原新也「新東京漂流」の開局。

藤原新也はこの3月からJ-WAVEのPodcast「新東京漂流」を開局している。

毎週火曜日に10〜20分ほどのしゃべりを行う個人ラジオのようなものである。

時事放談あり、独り言あり、インタビューあり、ルポあり、なんでもありだ。



Podcastは無料で新コンテンツも過去のコンテンツもすべて自分の時間に合わせて聴くことができる、コマーシャルもないので極めて自由度の高いメディアだ。


昨今のメディアが様々な縛りの中で自由度を失いつつある今、こういった個人的なメディアは不自由社会の突破口としてすでにアメリカでは人気を博しつつある。


キャットメロンに入ってこられる方々も楽しまれると良い。


藤原新也





Podcast 藤原新也「新東京漂流」







     

 

2020/07/03(Fri)

世の中に蔓延しはじめている「怒りの罹患(りかん)」(CATWALKより)


東京で感染者が百人を越したということでメディアは大騒ぎをしている。



コロナウイルス問題が純粋に国内問題となったのは対岸の火事であったダイヤモンドプリンセス号の乗客が下船した3月1日以降。

したがって約4ヶ月となる。



問題が濃密なだけに、すでに人々の間には1年くらいこの問題に苛まれているとう感覚の錯誤が生じているように思うが、まだ4ヶ月なのである。



しかしながらそのわずかな期間に(この日本では少ないと言えるものの)感染者と死者が続出し、街では倒産した店が閉められ、失業者が続出していることも確かだ。

また健常者においてもこのコロナウイルス禍の「自粛という抑圧」の中において、真正の病には至らぬものの、ある共通した精神的外傷の前駆症状が生じはじめていると感じている。











例えば今日のテレビでは昨日の西村経済再生相の記者会見の模様の一部が切り取って流され、その強いものの言い方がけしからんと出演者が口角泡を飛ばすかのように一斉攻撃している。



確かにそこだけを切り取ってみると西村は何か国民に対し強い口調でいわれなき苦情を述べているかのように聞こえる。

だが会見の模様を通しで視聴してみると、その話の流れからこれ以上感染が広がらないよう自粛を訴えている切実感がが伝わり、私個人はむしろ好感を抱いた(船長が官邸関連を褒めるのは珍しい・笑)。



https://www.youtube.com/watch?v=KPI9_3YQQvo





さしたる勇み足でもなく、むしろ真摯に受け止めるべき内容に対してさえ皆が怒りの集中砲火を浴びせるこの光景は船長がここのところ感じているコロナ罹患なら軽度の国民病となりつつある「怒りの罹患」(自粛警察がこの典型だが)を典型的に表すものとして銘記するとともに、ひるがえって自からの日常の合わせ鏡としたい。





今のところは「怒りっぽい」「癇癪を起こす」程度の日常的異変で収まっていはいるがこの「怒りの罹患」なるものがマッス(塊)となった時、辻村君の投稿にある「参事便乗資本主義」ならぬ、その感情のマッスを利用する不穏な便乗(国民の欧米への怒りのマッスをマスコミと軍部が仕立て上げ、戦争へと突入した戦前がまさにこれだった)が生じないとも限らない。






     

 

2020/05/08(Fri)

お隣の韓国がどのようにコロナウイルス問題に立ち向かったかのひとつの好例。(CATWALKより転載)



先日来、韓国での私の本の編集をやってくれたカン君に韓国事情を聞いているのだが、うらやましいことに今は平時のように繁華街は賑わっているそうだ。



政府は完全に手綱を緩めたわけではなく、慎重を期している部分もあるらしいが、成功という言葉は早計かも知れぬが、新型コロナウイルスを世界でいち早く攻略したと言えるわけであり、安倍政権は学ぶことは多いと思う。

だが嫌韓の彼はジェラシーを感じこそすれ韓国方式に学ぶことはないだろう。



カン君の話によると韓国でのコロナウイルス対策で有効だったのはこれは台湾にも当てはまることだがネットを有効に使ったとのことが大きいとのことだ。



つまりどこどかで感染者が出た場合、個人情報は一切伏せた形でその番号を振った感染者が何日の何時にどのような経路をたどって何をしたかという詳細情報がホストコンピューターに蓄積され、そこにアクセスすることによって自分の行動経路と照らし合わせることができる仕組みになっている。



そして感染者と自分の行動経路が重なる部分があれば直ちにPCR検査に向かうということを国民がこぞって行ったらしい。

このPCR検査も申し込めば直ちにやってくれるそうだ。

日本では37,5度以上の熱が4日以上続いてやっと保健所が申請に動く(実際には40度近い熱が4日続いても検査を受けられなかった例もある)。まるでアフリカの後進国並みだ。



韓国では国民のそのような動きが自らの感染リスク回避であるとともに集団の感染リスク回避にもなったわけだ。

韓国はアマゾンも入り込む余地がないほど早くからネットが発達し、このネットリテラシーを最大限に利用したことが今回のコロナウイルス攻略の鍵となったということである。



この日本ではどこどこの地区に何パーセントの人出があったということを携帯情報から集めているとのことだが、それくらい個人所有の携帯の位置が把握できるわけだから韓国方式を取り入れることは可能だったのではないか。

だがコロナウイルス問題にネットを駆使したというようなことはついぞ聞かない。

毎日膨大なコロナ情報を流しているマスコミもまたお隣韓国のコロナウイルス対策がそのように取られていたということを報道されたのを私の知る限り聞いたことがない。

政府のみならずメディアもまた韓国に触れることに無意識にバイアスがかかっているのではないか。



カン君はもと早稲田の学生として日本に留学しており、最初に電話をかけた時、コロナウイルスでの韓国の人々の心情を尋ねたところ以下のメールが返ってきた。

個人的なやりとりであり、日本語で表現するのにハンディがあっただろうが快諾してくれたので以下に掲載する。











藤原新也様

今日は久しぶりに通話できまして、嬉しかったです。

電話してくださって、ありがとうございます。

僕は日ごろネット経由で、日本の新聞記事やニュースには耳を向けていますが、最近のようにがっかりしたことはありませんでした。

阿部政権でやっていることはよそ者の僕が見てもひどいことばかりで、日本の国民は本当におとなしいな、と思うだけです。

もし韓国だったらほとんどの人が政権に立ち向かうのでしょうね。

僕が早稲田にいた頃の日本社会は今よりもずっと寛容と教養があったような気がします。いち早く日本が僕が知っている社会に戻ってほしいと願っています。

さて、今回のコロナウイルスは韓国社会、韓国人にどういう影響を与えたのか、という話ですが、

韓国でもコロナ事態が終わったわけではありませんから、今後も様子を見てみないといけませんが、韓国人の思考と生活に大きなショックを与えたに違いありません。



思い付きで書いてみます。



私は以前国あるいは政府は何なのか、その存在に疑問を抱いていましたが、こういう非常状態になると政府はの大変重要な役割を果たす機関だな、ということで、その存在理由を認めざるを得なくなりました。

私の周りには税金を納めている理由が初めて分かった、と言っている人もいます。

それは政府のやり方に国民が納得した、ということですね。

わかりやすい政策方針を決め、國民を優先する速やかな対処すすめ、透明に情報を公開するといった常識がリーダーシップの源泉であるということか、と思います。韓国人はもう少し自負心が高くなったのではないでしょいうか。



だといっても一般国民の生活はかなりダメージを受けています。

特に社会の弱者と言われてきた人には大きな影響を与えています。

厭世主義的な考え方も流行っています。

階層間の葛藤も見えます。

その中でも、当分は家賃を半分にします、という大家さんが出てきて、話題になりました。



会社中心の考え方は間違っている、と多くが人々が気付きました。

経営合理化を理由に非正規雇用を認めてきたのは間違いだったとわかったのでしょう。



また、家族の大事さを改めて悟った、という傾向もあるようです。

会社人間がいきなり家族人間に変貌するパターンですね。

韓国では封鎖はなかったですが、それでも飲み会がなくなり、家族と過ごす時間は増えたのは確かです。



それ以外にもいろいろなことがありそうな気がします。

周りの人とも意見を交換してみます。

今日は眠いので、これで失礼します。



すみません、また、改めて、ご連絡申し上げます。



かん





注・カン君はいつも体制批判的なところがあり、今回のように政府を褒めたのには私自身驚いた。

それくらい韓国政府は今回のコロナウイルス問題にうまく立ち向かったということだろう。



追記

英BBC(電子版)は4月30日、PCR検査について「日本の検査数の少なさは疑問だ」と題する記事を掲載。日本の感染者数は28万〜70万人におよぶという試算を紹介しながら「日本は検査数を増やさないと、パンデミックの終結はかなり困難」という専門家の厳しい見方を取り上げた。

https://news.livedoor.com/article/detail/18227955/





     

 

2020/05/07(Thu)

この迷走船はいったい何処に向かって針路を取ろうとしているのか。(CATWALKより転載)



「迷走」という言葉がある。



これは道のある陸上の言葉ではなく、例えば「第七管区海上保安本部若松海上保安部などが取り組んでいる迷走船対策」と言うように道というもののない海洋における船舶の航行、あるいは空の飛行機の飛行の様を表す言葉だ。



私も海洋の航行時にたまに迷走船に出くわすことがある。

その多くは海が荒れた時のことで、波間に見え隠れする遠くの船の針路が定まらず、フラフラして一体どこに行こうとしているのかわからない。



こっちかな、いやこっちかなと、慌ただしく針路を変える。



つまり慌てているのだ。











この日本丸と言う船の舵を握っている安倍首相はさしずめ荒れた海の中のあわてた船長のように見える。



そのおかげでいわば今日本は海上保安庁の言うところの「迷走船」そのものとなっている。



自分一人で遭難するなら構わないが、この船には一億二千万もの乗客がいるのだ。



投稿の中で安倍のマスク云々とこだわるのはどうかと思うと言うのがあったが、私は以下のようにそう言った細部にすでに彼が針路定まらぬふらつき船長であることが現れていると指摘している。










466億円もの大金を使い、全家庭に2枚の布マスクを配るという信じがたい駄策を発表するやいなや、各方面から布マスクは不織布マスクに比べ使い物にならないと指摘されると、慌てて彼は通常の不織布マスクに付け替えた。

だが今度は、では国民に配った布マスクを安倍首相はなぜ装着しないのかという批判が飛び出た。そうすると安倍首相はまた不織布マスクをやめ、再びあの布マスクを再装着しはじめた。

私がすでに終息しているマスク問題にこだわるのはこれは単にマスクにとどまる問題ではなく、そう言った細部にこの緊急時に政権の「ふらつき」というものが如実に見て取れるということに他ならない。











その後、このマスクのふらつきの一件は案の定、その直後に特定世帯30万給付と一旦正式発表したものを引っ込め、国民一人当たり10万に切り替えると言う針路定まらぬふらつきに如実に現れる。



この舵取りのふらつきはさらに続き、4月7日に7都府県緊急事態宣言を発令したものの、都府県から他県への人々の移動を見て慌てて16日に緊急事態宣言を全都道府県に拡大。



その4月16日の緊急事態宣言は連休明けの5月6日までとしていたが、全面的ロックダウンのできないこの日本において連休明けに解除に至る状況になるとは国民の誰もが思っていなかったはずだ。



そして今日さらに1ヶ月延長。

この荒海の中、三度にもわたる針路の変更は国民の神経と忍耐に疲弊をもたらす。



一体この船はどこに行こうとしているのか、ふらふらと針路を変える日本丸に乗っている乗客はたまったものではない。











かと言って荒海の海洋の中の迷走船の針路を誘導する海上保安庁船のような役割をする、つまりこれは他国と言うことになるのだが、助け船を出す国はないのかと言うと決してない訳ではない。



先日私の本の韓国版の仲介をしているカンさんに電話をしたことろ、韓国ではPCR検査のキッドの提供など日本に何度も協力の打診をしているそうだ(こうした報道はなぜかない)。

しかも韓国におけるPCR検査の精度は日本の40パーセントに比べ80パーセントと高いらしい。

日韓関係の悪い中、韓国に助け船を求めるのは政権のプライドに傷をつけることになるわけだが、そんなプライドはかなぐり捨て、救済一途に邁進する。

つまり命を賭けるような迫力がない。



その点、今回の新型コロナウイルス戦争において、ニュージーランドのジャシーダ・アーダーン首相、台湾総統のサイ・エイブン、ドイツのメルケル首相と揺らぎのない船の操縦を見せた国主が女性であったことは特筆すべきことだろう。



一般的にというか、いやほとんど全てと言ってよいが、船の船長というものはおしなべて男性だ。

そう言う意味ではトランプやプーチンや安倍と言った男性の舵取りがふらつき、女性がヨーイング(左右のふらつき)をしっかりと制御する舵取りを見せていることには驚きを禁じ得ないが、それはひょっとすると驚くべきことではないのではないかも知れない。

それは女性国主のそれぞれが愛の言葉をもって国民に接したということだ。

台湾における部下の大臣は武漢から帰国した国民の一人が感染者だったことにさえ涙した。

それによって国民はその「人間の言葉」に自ら進んで従い、合わせてその心に潤いすら与えられたと思える。



官僚の作文をクールに棒読みするような国主の国においてはいかに医学的能力が高かろうがおそらくこの闘いには勝てない。

というのもこれは生物対生物の闘いであり、武器と最も遠い人間の心というものが皮肉にも最も性能の良い武器だということである。







     

 

2020/04/23(Thu)

真実や事実は、時に妄想より生まれることもある。(Cat Walkより転載)

いつのトークだったか忘れたが、コロナウイルス問題が立ち上がった早い段階から対策として一気に外出禁止令を出し、短期勝負に出ることを提案していた。



短期であるならあらゆる分野で収入が途絶えたとしてもなんとか持ちこたえることは可能だろうし、余力を温存できるからだ。



日本の場合は法制上諸外国が取るようなドラスティックなやり方は難しいというのが評論家などの口癖だが、安倍政権はこれまで東京高検検事長の定年延長など都合の良い時には超法規措置を弄してしてきたわけであり、こういった強権的な超法規措置をこのコロナウイルス問題にこそ取ってもらいたかったのである。



だがいわば戦争と言えるような命がけの局面ではこの国はオロオロと態度が定まらず、今やこの日本のコロナウイルス問題は何やら”生殺し”の様相を呈しはじめている。











だがこの生殺し状態は、それが意識的でないとしても、何やらあの中国メソッド(方策)に似か寄りはじめているのではないかとの思いを最近もちはじめている。



これはあくまで個人のひとつの妄想と受け取ってもらっても構わないが、私は4月8日に武漢の都市封鎖が解除され、新たな感染者をゼロと発表し、あの一列に並ぶ看護婦が満面の笑顔で次々にマスクを取る中国式コマーシャルを見たとき、あるマスコミ関係の人間に「いよいよ中国も腹を括ったな」と冗談まぎれに言った。



その腹を括ったと言うのは一定数の犠牲者(死者)が出ることを容認し、集団免疫方策に切り替えたのではないかと言うことである。



つまり新型コロナウイルスによる死者は中国全体の人口からするときわめて微々たるものに過ぎない、



ご承知のように中国では人口抑制を目指し79年より2015年まで一人っ子政策をとり、4億人の人口が抑制された。

だがこの人口抑制によって逆に社会の高齢化問題が生じた。

この日本でもそうだが、高齢者というのは一般的には生産性に寄与せず、医療保険や年金授受など、国家財政の負担になるわけだ。

そのようなことを勘案しながらつまり船長の妄想するところのものは生産性に寄与しない老いの世代の犠牲の上に立った「適者生存」の道を中国は選択したのではないかと言うことである。











この適者生存は地球上の生物の歴史におけるいわゆる自然淘汰という名の間引きであるわけだが、人間は適者生存の勝者として地球に君臨した。



だが他の動物の領域を収奪し、あるいは飼育化したことによって人間と動物の閾値が狭まり、他の動物生存内に幽閉されていた未知のウイルスに人類が感染しはじめたというのが疫病というものの歴史である。

これは私の住む房総の例でもよくわかることで、30年前からは猿と人間社会の距離が縮まり、猿害(これは人間側の言い方だが)が状態化し、ここ6〜7年のスパンで猪、鹿という種目が人間と急激に近接状態になり、先日も夜大きな鹿が車の前をよぎり左ヘッドライトを破損させたというように、すでに多くの動物と人間との閾値はゼロベースと言っても過言ではない。



今回の新型コロナウイルスはコウモリの媒介と言われているが、ご承知のように何やら結果的には人間が生み出したと言えるこの新しい疫病をもたらすウイルスは人間と同じくどんどん巧妙になっている。

例えばエボラ出血熱のエボラウイルスの場合、頭が良いとは言えず、感染するやすぐに人を殺し、心中するがごとく自らも絶えたわけだが、この新型コロナウイルスの場合は自分が生き延び、繁殖するために無症状の感染者を宿主として世間を徘徊させるという作戦に出ているわけだ。











私が「中国は腹を括ったのではないか」と言ったのはこの健康な若年者が軽傷、無症状のままやがては免疫を獲得し、老年、特に基礎疾患のある老年代が亡くなるという得意な特質を持つ新型コロナウイルスと極めて冷酷に、そして巧妙に中国共産党は手を結んだのではないかということである。



いわば「適者生存」による社会の再編成、あるいは人工淘汰である。



あの折「とうとう腹を括ったな」と冗談めいて私は電話口でそう言ったわけだが、実は自分でそう言いながらも半信半疑なところがないわけだはなかった。



だがそれから数日後に私の妄想の海に真実の水滴が垂らされるかのような報道が何かと中国の嘘を暴く香港メディアによってもたらされる。

香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストがまだ武漢には無症状の感染者が4万3千人以上いながら公表していなかった」との告発記事を出したのである。



私は自分の妄想が真実味を帯びてきたことにゾッとした。











ひるがえって、いまだにPCR検査をせず(あるいはできない)正確な感染者数すら把握できないこの日本にあって”放置策”でこの難局を乗り切ろうとする無意識の力学が働いているとするなら、それは冷徹な試算の上に成り立った中国メソッドとその場しのぎの無計画で事態を野放しにしているこの日本とが異なりながらも似る結果をもたらしつつあるということかも知れない。



そんな中、今日ある大学病院において興味深いデータが発表された。

今月、慶応大学病院は新型コロナウイルス以外の患者67人に対して、新型コロナウイルス感染の検査を行ったところ、およそ6%の人が陽性だったことがわかったと発表したのだ。

当然このサンプリングは話題になりNHKのニュース9でも司会者が専門家会議の尾身茂副座長に質問をしたが、その答えは口ごもって何を言っているのかさっぱりわからなかたた。



仮に慶応大学のサンプリングを一つの尺度とするなら東京の人口1300万の6パーセントとすると70万人が感染していることになるわけだ。

仮にその試算がオーバーであるとしたとして、その半分でも35万人となり、オリンピックが延期されたにもかかわらず昨今ずっと都が発表してきている毎日百数十人台の感染者という今や誰も信用していないこの数字との乖離が激しい。



この乖離が無能無策のゆえに結果的には巧妙な中国共産党と同じ適者生存の道を無意識に選んでいる一つの現れとするなら別の意味で怖い話となるわけだ。



     

 

2020/04/20(Mon)

「一灯照隅・万灯照国」それに尽きる。(CATWALKより転載)



このコロナウイルス禍の時勢において前後左右さまざまな問題が私たちを取り囲んでいるが、その細部は置くとして大きく分けると以下のようになる。





@感染、そして感染爆発(アウトブレイク)をいかに防ぐか。



A医療崩壊をいかに防ぐか。



B対社会(国家や他者)に対する意識をどのように維持すべきか。



C日常長期化する禁断(自制)生活への対処(医療崩壊と同時に懸念される家庭崩壊)。











今日は@に関して述べるなら、定期的に情報を提供していただいている医療関係のN.Y.君の後記の投稿にもあるように早急の問題は指数関数的に上昇する感染者数が感染爆発(アウトブレイク)に至ることをいかに食い止めるかということにある。



そんな中、何か神のようなものの降臨を頼むというような他力を期待することは禁物で、私たち個人個人がその鍵を握っているという自覚を持って出来ることは、ことわざの「一灯照隅・万灯照国」的行動をすることに尽きる。



つまり自身の足元を照らすに過ぎない小さなともし火も、それも万集まれば国をも照らす力となりうると言うことである。

今ほどこの言葉が実践的側面を持って迫っている時はない。



専門知識の持たない私たち個人個人にできることは当初からこのトークでも述べているように単純に「うつさない・うつらない」を日常の中で各々が努力することに尽きるわけだ。











私個人のことで言うなら人との接触を完全に100%にシャットアウトできないものの、たとえば本当に残念だが、この5月に予定していたPhoto Award授賞式の会場をキャンセルし、Parisの写真展のクローズに合意し、また近々行われる新聞のインタビューを電話インタビューに切り替えてもらい、いま現在進行中のラジオに関しても番組の軸と考えていた他者との対面のインタビューはこのコロナウイルス問題が収束するまで一旦据え置き、人との接触のないそれに変わる新しい企画を考えたりとさまざまな方策を練っている。



ラジオではこの22日に私が東京を歩いて実況をすると言う企画を立てていたが、それもとりやめてもらった。

屋外でもあるし、確かにそのことによって即他者にうつしたりうつされたりと言う状況は生まれない可能性の方が高いが、それ以上にこういったメディアというものが特別な存在で、市井の人々と異なった行動を取っても許されると考えるのは思い上がりで間違いだからである。

というよりむしろメディアこそ、逆に人々の範を示さなければならないと私は考えており、相手側そのことを伝え、納得してもらったわけだ。



仮にラジオの場合、私のモノローグ(語り)のみの場合であってもスタジオに赴いて人の接触が生じるわけであり、その接触機会を軽減するべく、自分単独でレコーディング出来るようにミニスタジオ的なレコーディングシステムの構築をはじめている。











N.Y.君から提供していただいた世界の政治、経済、人口、などさまざまな分野をリアルタイムで数値化する「Worldometer」では世界の国々と比べ、感染者の指数関数的伸長率が、特に同質のウイルスに感染していると見られるアジア諸国と比してこの日本が”置き去り”に近い状況であることが知れる。



安倍政権下で、特に311以降完全に内向きになったメディアや国民意識は、今こそ世界の側から自分を見つめる視点を持たねばならないことがWorldometerのデータであからさまになるわけだ。



当初からPCR検査を徹底的に行った韓国はすでに感染者数1日あたり1桁台となり、街は元どおりの賑わいを見せ、頭脳的作戦を講じた台湾に至っては新型コロナウイルスの封じ込めに成功し、すでに感染者数ゼロを達成している。



この結果は韓国や台湾の場合はサーズ時の教訓が生きているという決まり文句の言い訳は通らず、日本の新型コロナウイルス対策(対策をして来なかったこと)があきらかに失敗であったことが浮き彫りとなっていることを示している。



この分だと隣の国々では市民が焼肉店や中華店で開襟し、ワイワイと宴会をやっている最中、ニューヨークやマドリッドなどに続いて遅れた感染爆発(アウトブレイク)がこの日本を襲い、世界の注視を一身に浴びないとも限らないわけだ。



そして政府と国民がそれくらいの危機感を持っているかどうかだが、この政府にしてこの国民ありというべきか、巣鴨のとげ抜き地蔵通りや普段より人通りの多い戸越銀座のにぎわいを見ると言葉は悪いがバカがぞろぞろ闊歩して家族や国を滅ぼそうとしているという以外の何か適当な言葉が見つからず、実際に国が滅びてしまった戦前の街を闊歩する提灯行列を彷彿とさせる。











そういう意味でせめてこのCATWALK船内だけは自覚を持っていただくために世界で2千5百万回以上ものアクセスがあった、アメリカのミシガン州の一人の家庭医が「家庭でも応用してもらいたい」とアップした「医療の現場で行われている物による感染防止方法」の動画を以下に貼り付ける。


https://www.youtube.com/watch?v=sjDuwc9KBps&feature=youtu.be



私もこのトーク内で宅急便などの箱や内容物の熱消毒を提唱したが、動画を見ながらここまでやるか、との思いが生じないでもない。



だがすでに新型コロナウイルスが蔓延している以上、医療の現場で行われているモノからの感染防止方法を取り入れなければならないような現実に私たちが直面しているということである。



どこやらのテレビで若い小ぎれいな医療関係のゲストが司会者が「物からの感染はないのか」との質問に対し、諸外国ではそういった報告はないからその心配はない、と妙に流暢に自信を持って答えていたが、ドアノブやエレベーターのプッシュボタンからの感染は早くから言われているところのものであり、そういった専門職風の人間でさえつい無自覚なウソをついてしまうような日本のご時世への警鐘としてもこの動画は機能しているとも言える。






     

 

2020/04/17(Fri)

太平洋戦争時の大本営のあの読みの甘さが蘇る今日(CATWALKより転載)

ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に着岸したのが2月3日。

乗客が全員下船したのが3月1日。

ほぼ1ヶ月間、新型コロナウイルスの汚染問題は陸から切り離された対岸の火事として私たちはそれを眺めていた。



だが今や海洋に浮かぶ島国この日本国そのものがダイヤモンドプリンセス号と化し、以降今日までめまぐるしい日々が続くが、今日やっと首相は緊急事態宣言を全国区に広げた。



東京に緊急事態宣言が発令されたのは7日だから10日後ということになる。

政治というものが事態の予期予測の上に立って政策が履行されるものであるとき、これは政治と呼ぶ代物ではない。











房総の私が住む周辺の人々にもマスクが欠品していて、朝早くから薬局に並ぶのだが、いまだに手に入らないというような近隣の人の話を聞き、今月に入って私は自分のルートで通常のマスクが手に入るたびに現地に赴き、とくに人と接する職業の人に配っているわけだが、東京に緊急事態宣言が発令されてのち、それまでガラガラで時には見渡す限り前を走る車が見当たらないという閑散状態の続く房総方面の高速道路が、東京に緊急事態宣言が発令された途端、通常状態より車が増え、ああこれは武漢やニューヨークに緊急事態宣言が出された時の光景そっくりだなと思った。



武漢の場合、都市封鎖がなされるということで、その前に膨大な数の離郷者が武漢以外の土地に逃げ出し、それがまた感染クラスターを生むという現象が起きたわけだが、この東京でも緊急事態宣言が発令されたとき、そこに”ミニ武漢”が展開されていたわけである。











今回政府が緊急事態宣言を全国区に広げたひとつの大きな要因が、緊急事態宣言の出された東京や大阪などの大都市から人々が地方に流入し、そこで感染が広がる現象が起きたことにあるわけだが、政治というものが事態の予期予測の上に立って政策を立てる事業である時、このように起こったありさまを見て、慌てて後追いで政策を変更するようなやり方は政治と呼べる代物ではなく、私はこの政府にこの世紀の緊急事態を任せて大丈夫かとの思いを強くするわけだが、私の知る限りそのような当然あるべき批判論調が出てこないところを見ると、その緊急事態を受ける側、報道する側も俯瞰的視点で今回の一件を眺めていないということだろう。



まったく前例のないことならともかく、武漢にしてもニューヨークにしてもケーススタディとしての前例があったがゆえになおさらこの思いが強くなるわけだ。



武漢のことが念頭にあれば東京に緊急事態宣言が出されてのち、それに続いて直ちに人々の動静を把握するということをやっておれば、それから10日間(急速に事態が進展するコロナウイルス問題に関する限り10日間はあまりにも長い)もうすらぼんやりとはできなかったはずだ。



そんなことは例えば東京から各地方に向かう高速道路の料金所やインターチェンジでの交通量の変化をウォッチし記録すれば簡単にわかることである。

私ですら気づいていたそんな簡単なことをおそらくやっていなかった公算が大きい。



あるひとは今回のコロナウイルス問題を戦争になぞらえるが、これが戦争であるとするなら、あの太平洋戦争時に方々で起きた稚拙な作戦のゆえに兵士が見殺しにされた事例が既視感のように蘇る。



というより大本営の総指揮官の読みの甘さとそれを取り繕う虚偽が事態を悪化させたわけだが、何やらあれと瓜二つでなければ良いがとの思いを強く抱かせる今日の出来事ではあった。



     

 

2020/04/11(Sat)

藤原新也J-WAVEラジオ「新東京漂流」放送開始!!

     

 

2020/04/09(Thu)

オードリー・タンIT担当大臣の電気釜と安倍首相の高価な給食マスク間に横たわる知能を分け隔てる深い川。(CatWalkより転載)

7日の緊急事態宣言の視聴率は70パーセントというから国民の大部分が固唾を飲んで成り行きに注視していたわけだ。

だが蓋を開けてみれば何一つ方策と呼べるような案もなく、ただ政権の自信喪失とふらつきばかりが目立ち、さらに国民の不安を増幅させてしまった

この自信のないふらつきは安倍首相が装着している布マスクに象徴される。





466億円もの大金を使い、全家庭に2枚の布マスク(これは戦後給食おばさんが唾を飛ばさないよう口元につけた布マスクに同じ)を配るという信じがたい堕策を発表するやいなや、各方面から非難の嵐にさらされ、さらに布マスクは不織布マスクに比べ使い物にならず、首相の装着しているマスクの小ささを指摘されると、慌てて彼は通常の不織布マスクに付け替えたところ、今度は、では国民に配った布マスクを安倍首相はなぜ装着しないのかという真っ当な批判が飛び出た。

そうすると安倍首相はまた不織布マスクを辞め、再びあの隙間だらけのちょんちょこりんな布マスクを再装着しはじめた。

今現在彼がテレビ画面に出てくるときはいつも案外安倍にお似合いの給食おばさんになっているのだが、ここで注目したいのは奇妙なことに背後に居並ぶ厚労省の役人もまた一律給食マスクに切り替えていることである。

マスク評論家としての私は議員や役人がどういうマスクをしているのかよく見ているから知っているのだが、以前は厚労省の役人は思い思いの不織布マスクを装着していた。

だが会見で前面に立つ安倍一人が給食マスクで背後の役人が不織布マスクでは格好がつかず、どうやら役人にもテレビに映るときは自分と同じ布マスクをしてくれと要請したことがその画面からアリアリと読み取れるわけだ。





一国の首相でありながら、一国の国難時に自分の立場を擁護すべくこまごまと小細工をするこの人間の器の小ささがそこに見て取れるわけだが、私がすでに終息しているマスク問題にこだわるのはこれは単にマスクにとどまる問題ではなく、そう言った細部にこの緊急時に政権の「ふらつき」というものが如実に見て取れるということに他ならない。

ちなみにこの天下の愚策に使った金が4百66億円とあるから試算してみると、困窮に陥る1万軒の何らかの店舗に一店舗あたり466万円、10万軒の店舗ではそれぞれ一店舗あたり46万6千円もの救済金を配ることのできる大変な額である。

そう言った大変な資金をみすみすドブに捨てたということだ。

さらに付け加えるなら緊急事態宣言で何一つ緊急に対策を打たなかったにも関わらず、この天下の愚策の無駄使いだけは超スピードで挙行しているところをみると安倍のこれまでやってきた過去の仕業からするとそこに何らかの利権が絡んでいたのではないかとの疑いすら抱く。

そんな現自民党は過去の民主党の為政を「悪夢」と揶揄したが、すでに現政権もまたすでに自らの悪夢にうなされていると言って良いだろう。





ただし、ここまで政権の底が割れたことは逆に私たちに一定の覚悟を与えたという意味でよかったことかも知れない。

この緊急事態宣言前、そして後に私たちとって変わるべきことがより明確化したからだ。

それは単純に自分の身は自分で守るということである、

「うつさない、うつらない」に日常の行動を収斂させるということだ。

そのことがよりはっきりしたわけだ。

その「守る」の中の最も重要なアイテムの一つがマスクということである。

そんな中、台湾のデジタルミニスターことオードリー・タンIT担当大臣がなかなかハッピーな動画をアップした

200109.jpg

品薄のマスクの使い回しとして船長はどこの家庭にもあるドライヤー消毒を推奨したが、タンさんは電気釜を推奨しているのである(8〜10分間空の電気釜にマスクを入れ熱で殺す)。

一本取られた感がなくもないが、60度で死滅するコロナウイルスを熱で殺すという案は同じなので彼と船長は兄弟とみなしてもよいだろう。

予算ほぼ0円、国民の誰もが等しくその恩恵を受ける。

これこそ政治というものである。

クルーのみんなもさっそく明日からやってみると良い。

このCATWALK号ではもう安倍は相手する意味はないと思っている。

これまでもクルーの中から身を守る方策がいくつか飛び出しているが、荒海航海に向けて、このオードリー・タン君のように色々な案を出してもらいたいと思う次第だ。

追記

全家庭に布マスクを配った厚労省は以下のようにとうとう白旗を上げ、N95マスクの再利用についての情報をかき集めているようだ。

https://www.mhlw.go.jp/content/000619969.pdf?fbclid=IwAR1SGtFBXqd5Pw_vvxyItA6elvp22f4QnRBeXS_jsp4c-6U34ieJdiVf4NI

IQ180のオードリー・タン君に聞け。


     

 

2020/04/02(Thu)

金曜爆弾、1日前倒しで木曜爆弾!!。(CatWalkより転載)

今日は終日外出していたので自宅に帰って知ったのだが、政府は一世帯に二枚のマスクを配るという案(決定?)を出しているという。

気は確かかと唖然とした。

こう言った大口の予算を使うに当たっては当然首相が決定しているのだろうが、この準戦争時にまるで小学生がママゴトをやっているかのような思いつきを国民に押し付ける総理を持つ「愚鈍」というものの空恐ろしさをつくづく感じる。

マスク不足が言われる中、こういう挙に出ると国民は拍手喝采するのではないか、といういかにも受け狙いであり、これは政策と呼ぶべき代物ではなく単なる寝起きの思いつきである。





私は3月27日の段階でいち早く首都を封鎖すべきと提言している。

フランスのようにいち早く封鎖し(強権発動をすることは救済のための莫大な予算を計上するということでもある)就労者や店舗や中小企業への金銭的保証をすべきなのである。

以下極論(それくらいの覚悟が必要ということ)。

どこから出すか。

借金すればよい。

日本政府は今1,100兆円の借金がある。

この借金を1,200兆円にして、100兆円を困窮する中小企業や個人に充て、まず労働力と日本の生産性を温存しなければならない。

医療崩壊のみが叫ばれているがこのままでは「就労崩壊」「店舗運営崩壊」そして日本の生産性を下支えする「中小企業崩壊」が起きかねない。

労働環境の崩壊を食い止めれば、コロナウイルス問題が過ぎ去ってのち恩返しとして国民こぞって勤労に励み、国家に寄与する。

大企業には補助は無用だ。

こういう時のために莫大な内部留保を確保しているわけだから、それで食いつなげばよい。

それくらいの思い切った荒技はひょっとしたら田中角栄あたりはやったかも知れない。

それが何だ、マスクを一世帯2枚だと。

ケチバカドジにもほどがある。

私はこれまでことあるごとに安倍を批判してきたが、さすがにここまで真性のバカだとは思わなかった。

私はコロナウイルス問題ではメンタル不調とは無縁だが、国家の頂上にこんな愚鈍な人間が鎮座していることに対し、少なからぬメンタル不調を感じるものである。





私はすでに3月27日の段階で以下のように述べている。

あくまで私個人の見解だが、感染者の実数が日に40人レベルで勇気ある為政者が責任を取って、なるべく速やかに都市封鎖(ロックダウン)を発令すべきだと考える。

この荒治療は当然多大な犠牲を伴うわけだが、ダラダラと長引く曖昧な擬似ロックダウンはやがてコントロールも収集もつかない局面を私たちに突きつけかねない。

抗生物質をダラダラと曖昧な飲み方をして、菌に耐性が出来、ついには治療不能に陥るのと同じだ。

例えば店に例を取るなら半年持ち堪えればなんとか復活できるものが、ダラダラと今のまま生殺し状態が1年2年と続くと本当に息の根をとめることになる。

手術は早いに越したことはない。

そんな中、ノーベル賞科学者の山中伸弥教授も同様の見解に立って昨日「山中伸弥教授による新型コロナウイルスに関する5つの提言」を発表し「ウイルスの特性や世界の状況を調べれば調べるほど、新型ウイルスが日本にだけ優しくしてくれる理由を見つけることが出来ません。検査数が世界の中でも特異的に少ないことを考えると、感染者の急増はすでに始まっていると考えるべきです。対策は先手必勝です。中国は都市封鎖をはじめとする強硬な対策をとりましたが、第1波の収束に2か月を要しました。アメリカの予想では、厳密な自宅待機、一斉休校、非必須の経済活動停止、厳格な旅行出張制限を続けたとして、第1波の収束に3か月かかると予測しています。わが国でも、特に東京や大阪など大都市では、強力な対策を今すぐに始めるべきです。」と今すぐ強力な対策を開始することを訴えている。

https://www.awaji-doctor.com/2020/04/02/山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信/

この一学者が正鵠を得た政治的発言をするその様を見ていると、このような人物が国を牽引する総理に成り代わるべきである。

国会では急に議員がマスクをつけ始めている。

今回配るマスクが布製マスクというのも馬鹿げている。

布マスクは織目穴が大きく、喉の湿け保護以外スカスカで何の役にも立たない。

サージカルマスクに代表される不織布という近年発明された技術は大したもので0、1マイクロメートルのコロナウイルスに対しても多少の効果は認められる。

安倍首相が国会演説で布マスクをしているのを見ると、やはり世代だなぁと思う。

何度も洗えるあの懐かしい布マスクがエコでいいというこの感覚こそが時代遅れなのだ。

北海道知事はその点若い世代でサージカルマスクをしておりこの世代感覚の差が歴然と出ている。

議員の中にもサージカルマスクをしているものも見かけるが、私が見るところ多くの議員が付け方を知らず、裏表反対につけている。

折り山の隙間が下向きに来るようにつけるというこういう初歩的なことも知らないのだ。

このようにマスクに無知な連中がマスクを国民に配ると言ってもリアリティがないのである。

それに莫大な送料。

そして気の遠くなるような膨大な手作業。

この金と労働力はクラスター追跡の人海戦術など別の形で使うべきなのだが、そう言った地味な努力は国民の目には見えなず、マスク配布の方が点数を取れるというポピュリズム感覚が今回のマスク配布に出ているように思う。


     

 

2020/03/16(Mon)

面舵(右進行)でも取舵(左進行)でもない、荒海の中の第三の中庸方位。(Cat Walk3/12の投稿より転載)

これは何度かトークで触れたことだと思うが、このCATWALKというのはひとつの町あるいは市というものを形成しており、このコミュニティの中にはさまざまな職能を持った方たちが暮らしていらっしゃる。

携帯の約款に関するトークを書いた時には携帯ショップの店長さんが、あるいはスタップ細胞に触れた折は実際に理研にお勤めになっていたクルーの方が、あるいはオリンピック競技場の話が出た時には建築関係の方が投稿を寄せ、その都度専門職の話をお聞きしながら逆に学ばせていただくという局面もある。

今回のコロナウイルス問題に関しても3名の専門職の方から意見が寄せられている。

今世の中はコロナウイルスに関しても専門から素人まで百家争鳴、喧々諤々とさまざまな意見が飛び交っているが、それではCATWALK内の専門職の意見もまた百家争鳴、喧々諤々に与しているかというとどうもそうではない。

ひとつの世間から距離をとったCATWALKという孤島においての個人的な見解であり、それは何よりも”人の言葉”として耳に伝わるということだ。
そこが大事なのではないかと思う。

そういう意味ではこのCATWALKというのはきわめて得意なコミュニティであると、今回のことも含めそのことを再確認した思いがある。




さてコロナウイルスの動きに関してその人の言葉としての見解を理解した上で、ここでひとつ言っておきたいことがある。

今世の中であのいかがわしい人相のWHO事務局長が中国のコロナウイルス沈静化とともにパンデミック宣言をし、世の中の意見は楽観的な層と悲観的な層に二分されつつあるように思う。

いつの世もあらゆる問題においてこの楽観層(抑え込めると言っているトランプ)と悲観層(国民の5千800万人が感染すると言うメルケル)が現れるのは人間にはその二つの性向がその身体に刻み込まれていることによると思っている。

つまりそれは右的人間と左的人間ということになる。
この右か左か、というのはつむじにも右巻きと左巻きがあるようにひとつの「宿命」である。

この右の渦と左の渦は決して同調せず、ぶつかり合う。
例えば仏教徒やヒンドゥ教徒やラマ教徒は仏舎利などの宗教シンボルを回る時には右回りであり、逆にイスラム教徒は左回りであり、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒が何においても相容れずぶつかり合うのは身体性(及び思考)が逆だからだ。


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カーバ神殿を回るイスラム教徒。

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仏舎利塔を回るネパール仏教徒。

この右思考左思考は当然この日本にも存在し、それが政治分野においては右派、左派、となりそれが極端化したものが右翼、左翼となる。そしてどちらかと言うと右は楽観的であり、左は悲観的だ。



この悲観思考、楽観思考は先の原発時に私たちはいやというほど経験し、このコロナウイルス問題においてもいま同じことが繰り返されている。

そんな中、原発時の対処に鑑み、私は取るべき方法はひとつと単純に理解している。
いかなる専門家も百パーセント確定的なエビデンス(証拠、証明)を持ちえない(原発問題がそうだった)場合、楽観思考より悲観思考の方を選ぶべきだということである。

いや悲観という言葉は使わない方がよいかもしれない。
この悲観というのはセンチメントな感情を言うのであり、それはストレス用語だからだ。

つまりものごとを甘く見ず、万全に慎重を期す。

それに尽きる。

私がわざわざライカギャラリーで無様なマスク姿をさらしている写真を選んでいるのはここにある。

ちなみに船長の場合は左でも右でもない。
身体性は右、思考は左。
それが人間の中庸だと心得る。



海が荒れ気味になった時にローリング、ピッチング、ヨーイング、と言う船の揺れ方がある。

ローリング(左右揺れ)ピッチング(上下揺れ)はご存知だと思うが、荒海ではこのヨーイングが最も厄介だ。

つまり船首の左右の振れである。
荒海でなくとも切っ先の鋭利な船首は不確定な波や海流の圧力を受け、常に左右に振れている。
だから常に舵を微妙に左右にコントロールする必要がある。

海が荒れた場合、このヨーイングは激しくなり、力技が必要となる。
さらには船の後方からの追い波が激しく船尾を押しはじめた場合、船はブローチング状態(左右の大きなふれ)になり、航行不能となる場合もある。

つまり航行とはヨーイングコントロールのことなのだ。
それは進行方向を中庸に保つと言うことに他ならない。
このコロナウイルスの荒れる海において、海を甘く見ることなく、慎重に万全を期し、右振れ左振れを抑える。

要(かなめ)はそこにあるように思う。


     

 

2020/03/10(Tue)

正しく恐れることが人類の悟りに繋がると言うのならそれもひとつの生き方死に方ということになる。(CATWALKより転載)

今回の投稿欄でN Y君は正常性バイアスという言葉を使っているが、この正常性バイアスに関しては先の東日本震災時にこのトークでも取り上げている。



人には何らかの災難に直面した時、目の前で起きていることに現実感が持てず、何かの間違いではないか、あるいはこの事態は異常ではなくまだ正常という心理が働き、異常事態発生という緊急スイッチが入らないことがある。



つまりこの異常をも正常の範囲内として捉えてしまう「正常性バイアス」という心理は自分の生命を守るために起こる錯誤もしくは楽観と言えるわけだ。

この正常性バイアスが同調圧力つまり「多数派同調バイアス」と結びつくと集団全体が危機回避能力を失い、大量死に至ることは先の東日本大震災の現場で多く見られた事例である。



さらには農耕民族においてはその生産様式はお天道様まかせ、お天道様の法則に従っていれば生きていける、と言う言わばカルト的正常性バイアスが身体に組み込まれいると私は考えており、この正常性バイアスと多数派同調バイアスとカルト的正常性バイアスが結合すると「鉄壁の正常性バイアス」となるわけだ。











今回この日本がコロナウイルス対策に失敗したのも、あの震災時、目の前に津波が襲って来ているにも関わらず、どこか別の世界の出来事のようにぼんやりと眺めていて津波に巻き込まれたという多くの事例に似た正常性バイアスどこかに生息していたのではないかと感じている。



現実逃避的性格や危機がやって来た時にフリーズが起こる「凍りつき症候群」も広義の意味の正常性バイアスということになるが、先般の安倍首相の逃げ腰記者会見を見ていると、これは世の中の2代目、3代目によくある性格だが彼には辛い局面はなるべく回避しょうとする「逃避型」「退避型」であることが如実に現れていた。

そう言う意味では今回のような国難とも言える危機に際して日本国民は不幸にも最も不適格な宰相をいただいていたということになる。



さらには加藤厚労大臣の根拠のない含み笑いが表情筋そのものとなって固着しているあの人相も正常性バイアス的性格を表しているように感じる。

つまりそのどこか雲の上を浮遊しているかのような現実感のない担当相が逃避型の宰相と同調バイアスを起こしたことは国民にとって不幸以外のなにものでもなかったと言う結論に至る。



先のトークでは危機を回避するためにいつかの心の置き方を記したが、あくまでそれはストレスの軽減策であり、それが正常性バイアスと結びついて現実逃避になってしまったとしたら本末転倒ということになるるわけだから、やはり現実を正しく直視することが基本である。



その意味において今回の新型コロナウイルス問題は最悪の事態として以下のことを念頭に置く必要もあるのではないかと私は個人的に考えているのだが、専門職であるクルーのN Y、都築両君の見解を伺いたい。











@発症前(潜伏期)の感染。


エボラ出血熱、SARS、HIVをはじめ感染症は、基本的に感染しても発症前ならば他者に感染しないとされている。

新型コロナウイルスが問題なのは、何処においてもその現象が見られるように感染者がそれと知らず出歩くと広まるため、隔離以外流行を阻止する方法がない。だが感染すら確実に計量できないとなると、流行は止める手立てがない。

この全く身体症状として発症しないままに他に感染してしまうウイルスというのはなんらかの人為的操作を施さないと生成しないと聞き及んでおり、これは空気のように広がって行くため絶対に操作してはならないと言われる。





A 再燃の現象。



これが何が問題かといえば、再燃しても、もし症状がなければ、その者の移動によりまた感染がひろまるため、感染拡大にきりがないということになる。

今回武漢ではすでにこの大量の再燃現象が現れており、日本でもある患者に再燃現象が見られてている。この再燃現象はあまり取り上げられることはないが意外に深刻な問題ではないのか。











以上の二点は、自然界ではきわめて稀な現象のため、新型コロナが人工的に作られたのではないかと憶測される理由となっているわけだ。



台湾などではDNAの操作によってSARS とHIV の遺伝子を合成したのではないかとも言われているが、それだけでも十分危機的だが、もし万一、新型コロナウイルスを遅発性の病気、たとえば発ガンの遺伝子を組み込んでいたとするなら、それは何ヵ月か何年後になるかわからないが、一度完治した人にその症例が出てくることになる。

そのような意味でも新型だとするなら人類はま違いなくアウトということになりこれは悪魔の仕業としか言いようがない。



人類がアウトというのは自業自得であり、自分の罪を自分でかぶるわけだから致し方ないにしてもこの地球上の生物量の0、01パーセントに過ぎない人類の仕業が99、99パーセントの全生物を滅ぼすことは何としても避けねばならない。



ちなみに先のトークでこのコロナウイルスは人以外の他の動物にも感染するかどうかの検証をすべきと書いたその翌日、香港で犬がコロナウイルスに感染したという事例が報告されているが、それは本当のことなのか香港在住の知り合いに確かめるつもりだ。



このような最悪の事態を想定することは、新たなストレスを生むことにもなるが、サバイバルには最悪の事態を想定するところから入るという基本があり、災害時の72時間生存率もその発想に基づいている。

それは生きるためのひとつ方法でもあり、過剰に恐れることなく淡々と現実を直視して行きたいと考える。



このような最悪の事態を想定することは、新たなストレスを生むことにもなるが、サバイバルには最悪の事態を想定するところから入るという基本があり、災害時の72時間生存率もその発想に基づいている。

それは生きるためのひとつ方法でもあり、過剰に恐れることなく淡々と現実を直視して行きたいと考える。











なお船長のところには今現在N95マスクが30組ほどあり、少ない量だがこの中の20組をまず医療関係の人にお配りしたいと考える。

必要な方は住所氏名電話番号を記し、申請していただきたい。

医療関係でなくとも是非必要という方はその理由を書いて投稿していただく。



また使ったマスクの再利用だが、船長は外出から帰って来ると洗うとへたるのでマスクをハンガーに吊るし、ドライヤーで熱風をかけ簡単に熱殺菌をしている。

また市販の殺菌用の紫外線ボックスも所有しており、これはスマホのみならずマスクも殺菌(ウイルス)対策になるので使用している。

ちなみにスマホもまた汚染源となる。



https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0859KCWMB/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o01_s00?ie=UTF8&psc=1








     

 

2020/02/29(Sat)

アリリバイ作りだけに費やされた無意味な時間。(CATWALKより転載)


今終わった安倍総理の記者会見。



遅きに失した感があるがそれでもやっと表に出てきたと評価するところは評価すべきだろうと期待していたが、ただただ後味の悪いものだった。



配慮しているのか、申し合わせなのか各局、左右に設置されたプロンプターが写り込まない写角で映像を流していたが、それでもチラリチラリとプロンプターの端が見える。

それですぐさま官僚の作文を読み上げるのだなと言うことがわかる。

ただ時事通信社だけがカメラマンが意識しているのかあからさまにプロンプターごと撮影していた。



プロンプターとはアメリカの発明品で、床部に投射装置があり上部の透明板に画像や文字を映し出す装置だが、話者の側からは文字などは見えるが聴衆側には見えないと言うなかなかの優れものだ。

長い話の場合は読み上げる箇所だけが色付きになり移動するのでそれを目で追って話すということもできる。



首相は左右に設置したプロンプターに映し出される文章をあたかも自分の言葉のように長々と読み上げる。

言わばカンニングである。

学校の試験ではこうしたカンニングは罰則が与えられるが政治家にそういった罰則はない。

ひとつでも事足りるのだが、左右にプロンプターが置かれているのは演説などは左右の聴衆に顔を向けながら話すと言う演説の基本があるからだ。

だが広く聴衆の顔を見ながらはジェスチャーだけで左右のプロンプターに視線を移すだけなのでまるで首ふり人形のようである。

韓国の大統領や台湾の総統が記者会見のおり、カンニングではなく自分の言葉で話していたのとは対照的だ。



一瞬このプロンプターが故障し、カンニング文が出てこなくなったらとうとうとしゃべっている彼は相当うろたえ、支離滅裂になるのではないかと思った。



質問に入ると左右のプロンプターは下げられ、質問ではあらかじめ根回しをした5名の記者をあたかもアトランダムに選んだかのような演技で指名し、今度は卓上に置かれたモニターに流れる用意された原稿を読み上げる。


あまりに長い前段の話と比べ、質問時間は極めて短く、割り当ての5名の記者に定形質問だけをさせて時間が来た、と揚げ足を取られる前にサッと引き上げる。

全体に費やされ時間は質問を含めてたったの36分。

こんな国難会見で「時間がまいりましたので」の時間とは一体何なのか。

この国難より重要な案件がその後に控えているとは考えにくい。

あるいは6時半を過ぎているので食事に入るということなのか。



本当はこの会見は3時間4時間と時間を費やしても足りないくらいだ。

この間定形質問に当てた時間は10分程度、回答(カンニング)にあてた時間はわずかその半分の5分程度。

ふざけた会見である。



予定された質問ではなく、国民が聞きたいことに全部耳を傾け、余すところなく答えるというのが記者会見のあるべき姿だが、長々と自己弁護をしてさっさと引き上げ、国民と向かい合ったというアリバイだけを作る。



卑怯である。



首相はプロンプターを見て、政治記者連中もただ黙々とパソコンに向かい合っているだけ、というこの日本独特の薄気味悪い予定調和会見に異議を唱えるかのように遠くの女性記者が「まだ質問があります」の声を上げ、まだ他の記者も手を上げているが、予定調和以外の質問を避けるかのように側近が「時間がまいりましたので」とアナウンスし、件の女性が「質問にちゃんと答えないんですね」と言うと首相はチラリと声の方を見ただけで、サッサと降段。



国民への想いより自己保身だけが透けて見える後味悪い時間だった。



そしてこれも官僚が作った文言だが、彼は締めの言葉に大変な間違いをおかしている。



最後に、と言って述べた「ダイヤモンドプリンセス号の中で粉骨砕身で働いていただいた方々に心から敬意を申し上げたい「という趣旨の文言だが、ここは



「最後にダイヤモンドプリンセス号でお亡くなりになられた諸外国のそしてわが国の方々に心よりご冥福を申し上げたい」



とすべきところである。



こう言った場面ではまず最大の犠牲者となった死者を弔うと言う定石すらわかっていない。



これは文書を作った官僚の失策だが、そのまま読んだ首相の失策でもある。



ここまで来たら笑える。



流石に吉本興業の舞台に立ったことのある人だなとここだけは評価した。



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